ま》の湯がチンチン、途切れてはチンという。
手持不沙汰《てもちぶさた》に、後退《あとじさり》にヒョイと立って、ぼんやりとして襖《ふすま》がくれ、
「御免なさいまし。」と女中、立消えの体《てい》になる。
見送りもせず、夫人はちょいと根の高い円髷《まるまげ》の鬢《びん》に手を障《さわ》って、金蒔絵《きんまきえ》の鼈甲《べっこう》の櫛《くし》を抜くと、指環《ゆびわ》の宝玉きらりと動いて、後毛を掻撫《かいな》でた。
廊下をばたばた、しとしとと畳ざわり。襖に半身を隠して老番頭、呆れ顔の長いのを、擡《もた》げるがごとく差出したが、急込《せきこ》んだ調子で、
「はッ。」
夫人は蒲団《ふとん》に居直り、薄い膝に両手をちゃんと、媚《なまめか》しいが威儀正しく、
「寝ますから、もうお構いでない、お取込の処を御厄介ねえ。」
「はッはッ。」
遠くから長廊下を駈《か》けて来た呼吸《いき》づかい、番頭は口に手を当てて打咳《うちしわぶ》き、
「ええ、混雑《ごたごた》いたしまして、どうも、その実に行届《ゆきとど》きません、平《ひら》に御勘弁下さいまして。」
「いいえ。」
「もし、あなた様、希有《けう》でござります。確かたった今、私《わたくし》が、こちらへお客人をお取次申しましてござりましてござりまするな。」
「そう、立花さんという方が見えたってお謂《い》いだったよ。どうかしたの。」
「へい、そこで女どもをもちまして、お支度の儀を伺わせました処、誰方《どなた》もお見えなさりませんそうでござりまして。」
「ああ、そう、誰もいらっしゃりやしませんよ。」
「はてな、もし。」
「何なの、お支度ッて、それじゃ、今着いた人なんですか、内に泊ってでもいて、宿帳で、私のいることを知ったというような訳ではなくッて?」
「何、もう御覧の通《とおり》、こちらは中庭を一ツ、橋懸《はしがかり》で隔てました、一室《ひとま》別段のお座敷でござりますから、さのみ騒々しゅうもございませんが、二百余りの客でござりますで、宵の内はまるで戦争《いくさ》、帳場の傍《はた》にも囲炉裡《いろり》の際《きわ》にも我勝《われがち》で、なかなか足腰も伸びません位、野陣《のじん》見るようでござりまする。とてもどうもこの上お客の出来る次第ではござりませんので、早く大戸を閉めました。帳場はどうせ徹夜《よあかし》でござりますが、十二時という時、腕車
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