って困る。奥さんは何も知らず、銑太郎なお欺くべしじゃが、あの、お松というのが、また悪く下情《かじょう》に通じておって、ごうなや川蝦《かわえび》で、鰺《あじ》やおぼこの釣れないことは心得ておるから。これで魚屋へ寄るのは、落語の権助が川狩の土産に、過って蒲鉾《かまぼこ》と目刺を買ったより一層の愚じゃ。
 特に餌《えさ》の中でも、御馳走の川蝦は、あの松がしんせつに、そこらで掬《すく》って来てくれたんで、それをちぎって釣る時分は、浮木《うき》が水面に届くか届かぬに、ちょろり、かいず奴《め》が攫《さら》ってしまう。
 大切な蝦五つ、瞬く間にしてやられて、ごうなになると、糸も動かさないなどは、誠に恥入るです。
 私は賢君が知っとる通り、ただ釣という事におもしろい感じを持って行《や》るのじゃで、釣れようが釣れまいが、トンとそんな事に頓着《とんちゃく》はない。
 次第に因ったら、針もつけず、餌なしに試みて可《い》いのじゃけれど、それでは余り賢人めかすようで、気咎《きとがめ》がするから、成るべく餌も附着《くッつ》けて釣る。獲物の有無《ありなし》でおもしろ味に変《かわり》はないで、またこの空畚《からびく》をぶらさげて、蘆《あし》の中を釣棹《つりざお》を担いだ処も、工合の可《い》い感じがするのじゃがね。
 その様子では、諸君に対して、とてもこのまま、棹を掉《ふ》っては[#「掉《ふ》っては」は底本では「掉《ふ》つては」]帰られん。
 釣を試みたいと云うと、奥様が過分な道具を調えて下すった。この七本竹の継棹《つぎざお》なんぞ、私には勿体《もったい》ないと思うたが、こういう時は役に立つ。
 一つ畳み込んで懐中《ふところ》へ入れるとしよう、賢君、ちょっとそこへ休もうではないか。」
 と月を見て立停《たちどま》った、山の裾《すそ》に小川を控えて、蘆が吐き出した茶店が一軒。薄い煙に包まれて、茶は沸いていそうだけれど、葦簀張《よしずばり》がぼんやりして、かかる天気に、何事ぞ、雨露に朽ちたりな。
「可《い》いじゃありませんか、先生、畚は僕が持っていますから、松なんぞ愚図々々《ぐずぐず》言ったら、ぶッつけてやります。」
 無二の味方で頼母《たのも》しく慰めた。
「いやまた、こう辟易《へきえき》して、棹を畳んで、懐中《ふところ》へ了《しま》い込んで、煙管筒《きせるづつ》を忘れた、という顔で帰る処もおもしろい
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