古びて、幾秋《いくあき》の月や映《さ》し、雨や漏りけん。入口の土間なんど、いにしえの沼の干かたまったをそのままらしい。廂は縦に、壁は横に、今も屋台は浮き沈み、危《あやう》く掘立《ほったて》の、柱々、放れ放《ばな》れに傾いているのを、渠《かれ》は何心なく見て過ぎた。連れはその店へ寄った[#「寄った」は底本では「寄つた」]のである。
「昔……昔、浦島は、小児《こども》の捉《とら》えし亀を見て、あわれと思い買い取りて、……」と、誦《すさ》むともなく口にしたのは、別荘のあたりの夕間暮れに、村の小児等《こどもら》の唱うのを聞き覚えが、折から心に移ったのである。
銑太郎は、ふと手にした巻莨《まきたばこ》に心着いて、唄をやめた。
「早附木《マッチ》を買いに入ったのかな。」
うっかりして立ったのが、小店《こみせ》の方《かた》に目を注いで、
「ああ、そうかも知れん。」と夏帽の中で、頷《うなず》いて独言《ひとりごと》。
別に心に留めもせず、何の気もなくなると、つい、うかうかと口へ出る。
「一日《あるひ》大きな亀が出て、か。もうしもうし浦島さん――」
帽を傾け、顔を上げたが、藪に並んで立ったのでは、此方《こなた》の袖に隠れるので、路《みち》を対方《むこう》へ。別荘の袖垣から、斜《ななめ》に坂の方を透かして見ると、連《つれ》の浴衣は、その、ほの暗い小店に艶《えん》なり。
「何をしているんだろう。もうしもうし浦島さん……じゃない、浦子さんだ。」
と破顔しつつ、帽のふちに手をかけて、伸び上るようにしたけれども、軒を離れそうにもせぬのであった。
「店ぐるみ総じまいにして、一箇《ひとつ》々々袋へ入れたって、もう片が附く時分じゃないか。」
と呟《つぶや》くうちに真面目《まじめ》になった、銑太郎は我ながら、
「串戯《じょうだん》じゃない、手間が取れる。どうしたんだろう、おかしいな。」
二
とは思ったが、歴々《ありあり》彼処《かしこ》に、何の異状なく彳《たたず》んだのが見えるから、憂慮《きづかう》にも及ぶまい。念のために声を懸けて呼ぼうにも、この真昼間《まっぴるま》。見える処に連《つれ》を置いて、おおいおおいも茶番らしい、殊に婦人《おんな》ではあるし、と思う。
今にも来そうで、出向く気もせず。火のない巻莨《まきたばこ》を手にしたまま、同じ処に彳んで、じっと其方《そなた》
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