」
「だからこの場合ですもの。やっぱり厭な感じだ。その気味の悪い感じというのが、毛虫とおなじぐらいだと思ったらどうです。別に不思議なことは無いじゃありませんか。毛虫は気味が悪い、けれども怪《あやし》いものでも何でもない。」
「そう言えばそうですけれど、だって婆さんの、その目が、ねえ。」
「毛虫にだって、睨《にら》まれて御覧なさい。」
「もじゃもじゃと白髪《しらが》が、貴郎。」
「毛虫というくらいです、もじゃもじゃどころなもんですか、沢山毛がある。」
「まあ、貴下《あなた》の言うことは、蝸牛《でんでんむし》の狂言のようだよ。」と寂しく笑ったが、
「あれ、」
寺でカンカンと鉦《かね》を鳴らした。
「ああ、この路の長かったこと。」
七
釣棹《つりざお》を、ト肩にかけた、処士あり。年紀《とし》のころ三十四五。五分刈《ごぶがり》のなだらかなるが、小鬢《こびん》さきへ少し兀《は》げた、額の広い、目のやさしい、眉の太い、引緊《ひきしま》った口の、やや大きいのも凜々《りり》しいが、頬肉《ほおじし》が厚く、小鼻に笑《え》ましげな皺《しわ》深く、下頤《したあご》から耳の根へ、べたりと髯《ひげ》のあとの黒いのも柔和である。白地に藍《あい》の縦縞《たてじま》の、縮《ちぢみ》の襯衣《しゃつ》を着て、襟のこはぜも見えそうに、衣紋《えもん》を寛《ゆる》く紺絣《こんがすり》、二三度水へ入ったろう、色は薄く地《じ》も透いたが、糊沢山《のりだくさん》の折目高。
薩摩下駄《さつまげた》の小倉《こくら》の緒《お》、太いしっかりしたおやゆびで、蝮《まむし》を拵《こしら》えねばならぬほど、弛《ゆる》いばかりか、歪《ゆが》んだのは、水に対して石の上に、これを台にしていたのであった。
時に、釣れましたか、獲物を入れて、片手に提《ひっさ》ぐべき畚《びく》は、十八九の少年の、洋服を着たのが、代りに持って、連立って、海からそよそよと吹く風に、山へ、さらさらと、蘆《あし》の葉の青く揃って、二尺ばかり靡《なび》く方へ、岸づたいに夕日を背《せな》。峰を離れて、一刷《ひとはけ》の薄雲を出《いで》て玉のごとき、月に向って帰途《かえりみち》、ぶらりぶらりということは、この人よりぞはじまりける。
「賢君、君の山越えの企ては、大層帰りが早かったですな。」
少年は莞爾《にこ》やかに、
「それでも一抱えほど山百
前へ
次へ
全48ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング