ふらふらになりました。
夢中で二三|間《げん》駈《か》け出すとね、ちゃらんと音がしたので、またハッと思いましたよ。お銭《あし》を落したのが先方《さき》へ聞えやしまいかと思って。
何でも一大事のように返した剰銭《つり》なんですもの、落したのを知っては追っかけて来かねやしません。銑さん、まあ、何てこッてしょう、どうした婆さんでしょうねえ。」
されば叔母上の宣《のたま》うごとし。年紀《とし》七十《ななそじ》あまりの、髪の真白《まっしろ》な、顔の扁《ひらた》い、年紀の割に皺《しわ》の少い、色の黄な、耳の遠い、身体《からだ》の臭《にお》う、骨の軟かそうな、挙動《ふるまい》のくなくなした、なおその言《ことば》に従えば、金色《こんじき》に目の光る嫗《おうな》とより、銑太郎は他に答うる術《すべ》を知らなかった。
ただその、早附木《マッチ》一つ買い取るのに、半時ばかり経《た》った仔細《しさい》が知れて、疑《うたがい》はさらりとなくなったばかりであるから、気の毒らしい、と自分で思うほど一向な暢気《のんき》。
「早附木は? 叔母さん。」と魅せられたものの背中を一つ、トンと打つようなのを唐突《だしぬけ》に言った。
「ああ、そうでした。」
と心着くと、これを嫗に握られた、買物を持った右の手は、まだ左の袂《たもと》の下に包んだままで、撫肩《なでがた》の裄《ゆき》をなぞえに、浴衣の筋も水に濡れたかと、ひたひたとしおれて、片袖しるく、悚然《ぞっ》としたのがそのままである。大事なことを見るがごとく、密《そっ》とはずすと、銑太郎も覗《のぞ》くように目を注いだ。
「おや!」
「…………」
六
黒の唐繻子《とうじゅす》と、薄鼠《うすねずみ》に納戸がかった絹ちぢみに宝づくしの絞《しぼり》の入った、腹合せの帯を漏れた、水紅色《ときいろ》の扱帯《しごき》にのせて、美しき手は芙蓉《ふよう》の花片《はなびら》、風もさそわず無事であったが、キラリと輝いた指環《ゆびわ》の他《ほか》に、早附木《マッチ》らしいものの形も無い。
視詰《みつ》めて、夫人は、
「…………」ものも得《え》いわぬのである。
「ああ、剰銭《つり》と一所に遺失《おと》したんだ。叔母さんどの辺?」
と気早《きばや》に向き返って行《ゆ》こうとする。
「お待ちなさいよ。」
と遮って上げた手の、仔細《しさい》なく動いたのを、
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