く間に物のあいろも見えなくなり、樺の木立ちも、降り積ッたままでまだ日の眼に逢わぬ雪のように、白くおぼろに霞《かす》む――と小雨が忍びやかに、怪し気に、私語するようにパラパラと降ッて通ッた。樺の木の葉はいちじるしく光沢は褪《さ》めていてもさすがになお青かッた、がただそちこちに立つ稚木《わかぎ》のみはすべて赤くも黄ろくも色づいて、おりおり日の光りが今ま雨に濡れたばかりの細枝の繁味《しげみ》を漏《も》れて滑りながらに脱けてくるのをあびては、キラキラときらめいていた。鳥は一ト声も音を聞かせず、皆どこにか隠れて窃《ひそ》まりかえッていたが、ただおりふしに人をさみした白頭翁《しじゅうがら》の声のみが、故鈴《ふるすず》でも鳴らすごとくに、響きわたッた。この樺の林へ来るまえに、自分は猟犬を曳いて、さる高く茂ッた白楊《はこやなぎ》の林を過ぎたが、この樹は――白揚は――ぜんたい虫がすかぬ。幹といえば、蒼味がかッた連翹色《れんぎょういろ》で、葉といえば、鼠みともつかず緑りともつかず、下手な鉄物《かなもの》細工を見るようで、しかも長《たけ》いっぱいに頸を引き伸して、大団扇《おおうちわ》のように空中に立ちはだかッて――どうも虫が好かぬ。長たらしい茎へ無器用にヒッつけたような薄きたない円葉をうるさく振りたてて――どうも虫が好かぬ。この樹の見て快よい時といっては、ただ背びくな灌木の中央に一段高く聳《そび》えて、入り日をまともに受け、根本より木末に至るまでむらなく樺色に染まりながら、風に戦《そよ》いでいる夏の夕暮か、――さなくば空|名残《なご》りなく晴れわたッて風のすさまじく吹く日、あおそらを影にして立ちながら、ザワザワざわつき、風に吹きなやまされる木の葉の今にも梢をもぎ離れて遠く吹き飛ばされそうに見える時かで。とにかく自分はこの樹を好まぬので、ソコデその白楊の林には憩わず、わざわざこの樺の林にまで辿《たど》りついて、地上わずか離れて下枝の生えた、雨|凌《しの》ぎになりそうな木立を見たてて、さてその下に栖《すみか》を構え、あたりの風景を跳めながら、ただ遊猟者のみが覚えのあるという、例の穏かな、罪のない夢を結んだ。
 何ン時ばかり眠ッていたか、ハッキリしないが、とにかくしばらくして眼を覚ましてみると、林の中は日の光りが到らぬ隈《くま》もなく、うれしそうに騒ぐ木の葉を漏れて、はなやかに晴れた蒼空がまる
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