んに助けられながら起き上つて、私は寢臺の下に降りてみた。直ぐひよろひよろとひよろけて、私は尻もち[#「もち」に傍点]をつきさうになつた。私はあわてて寢臺に掴まつた。武井さんが背後から背中を支へてくれた。
「まるで赤んぼですね……」と、私は苦笑しながら、武井さんを振り返つた。
が、それでもそんな事を續けて行く内に、私の足元は一日一日と固まつて行つた。そして、寢臺の縁に掴まりながら一歩一歩と歩いて行く事に、子供のやうな興味を覺えるやうになつた。また時には窓際の曲木の椅子に腰掛けて、庭の景色や、向う側の病室の窓の中をぼんやり眺めてゐる事が出來るやうになつた。
その頃からもう梅雨だつた。陰氣な日が多くなつた。ねり絲のやうなしめやかな雨が青桐の葉や、芝生や、樹木の若葉をしつとりと濡らして、朝から夜がくるまで降り續けてゐる事があつた。誰も見舞ひにくる者もない、さうした日の午後など、私は病後のうら寂しい氣持で窓際の椅子に凭りながら、靜かな雨脚を[#「雨脚を」は底本では「兩脚を」]眺め暮してゐるのであつた。
或る日の午後だつた。武井さんが草花を買ひに行つた留守に、私は一人寢臺を靜に降りて、椅子に凭りながら烟るやうな雨脚を[#「雨脚を」は底本では「兩脚を」]通して見える、向う側の病室をぢつと眺めてゐた。と、私はその二階の病室の右手から三番目の窓に凭つて、同じやうに庭を眺めてゐる若い女をふと見附けたのであつた。
「やつぱり患者だな。新しくはいつて來たのか知ら……」と、私は一人呟きながらその女の方をぢつと見てゐた。と、女も私に氣附いたやうにちらりと視線を向けて、直ぐ芝生の方へ俯向いてしまつた。
「何の病人だらう……」と、その刹那にふと眼に殘つた女のほつそりと痩せた、青白い、如何にも物寂しい感じの輪廓を持つた顏を思ひ浮べながら、私は考へた。やがて、女は靜に身を飜して、白い窓掛《カアテン》の裏に隱れてしまつた。私はそのうしろ姿に何となく暗い影を感じた。そして、武井さんが或る時云つた「お逝くなりになる御病人は何だか初めの氣持で分りますわ……」と云ふ詞を思ひ出して、不吉な豫感にはつと胸を衝かれた。
私は變に暗い氣持にされた。そして、そのまままた寢臺の上に横になりながら、暫く白い天井を見詰めてゐた。が、不思議にその刹那の女の顏の印象が頭の中に浮び上つて、ひよいと胸を掠めた不吉な豫感が拭へな
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