窓の外は若葉の美しい初夏の頃だつた。
枕からのし上つて眼を逆樣にしながら眺めると、明るい日光の中に廣い青葉を光らせてゐる桐の木が三本、何時も硝子戸越しに見えた。私は一日一日緑の深くなつてくるその葉を數へたり、處處に酢貝のやうな瘤のあるその枝振を眼をつぶつても覺えてゐられる程見詰めてゐたりした。
「ほんとに葉の縞が綺麗だな……」と、或る時私はびつくりして叫んだ。それは夕方になつて急に雨が上がつて、美しい西日がその葉裏にきらきら光り出した時だつた。
「まあ、そんなに綺麗に見えますの……」と、武井さんはそれが思掛ない事とでも云つた表情を浮べて、窓際に立つてその葉を眺めながら微笑してゐた。
青桐の木の向うには平たい芝生の庭があつた。午後の靜かな時など、よくその眼のさめるやうな青芝の上には、白い服をそよ風にひるがへした看護婦達の二人三人が、低い、けれど透き通るやうな聲で歌を口ずさみながら往き來してゐるのを、私は病み疲れた眼でぢつと眺めてゐる事があつた。
芝生の庭の處處には櫻や檜葉や楓などが立つてゐた。それがとりどりの感じを持つた青葉をまだ柔かな日光に輝かしてゐる朝は、私の一番好きな時であつた。空氣は澄んで新鮮《フレツシユ》な凉しさを持つてゐた。それが武井さんにふいて貰つたばかりの頬にひやひやと觸れる時、私はほんとに氣持が好かつた。そして、チチチと何處からとなく聞えてくる朝の雀の囀りに耳を傾けながら、今日誰が見舞ひに來てくれるだらう――などと云ふ事を、樂しみながら考へたりした。
芝生の庭を挾んだ向うには、水色のペンキで塗つたこつちと同じやうな二階建の病室の棟が立つてゐた。そして、其處に八つ並んだ窓の一つ一つの中には寢てゐる病人の黒い頭や、氷嚢を換へたりなどしてゐる看護婦の顏がちらちらと見えた。或る窓には赤い花をつけた花鉢が置いてあつた。或る窓には白い布が干してあつた。聲は高くすれば聞えるくらゐの遠さだつたが、向うの看護婦とこつちの武井さんが時にはわざとらしく半布《ハンケチ》を振つて、相圖をし合つて、無聊を慰めるやうな笑ひを洩らし合つたりするのであつた。
夜になると、その向うの八つの窓にはぱつと電氣が點いた。長方形の明るさを持つた窓が夜の闇の中に、階下と階上とで形よく二條に並んでゐる――そのそれぞれの明るさの中で、或る處では死期の迫つた病人が暗い聲で呻いてゐる、或る
前へ
次へ
全10ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南部 修太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング