て行つて、密《ひそや》かなどよめきが教室の中に漲《みなぎ》つた。そしてぢつと先生の顏を見詰めてゐた私達は、一人一人|俯向《うつむ》いて來て、先生の詞を聞くよりも、次第に腹の底から込み上げてくる可笑しさを堪《こら》へる爲めに、息の詰るやうな苦しい努力を續けなければならなくなつた。
「……。だから諸君にとつて國語學程重要な物はない。」先生はチョッキの釦《ボタン》に絡《から》んだ、恐らくは天麩羅《てんぷら》らしい金鎖を指でまさぐりながら、調子に乘つて饒舌《しやべ》つてをられた。その糞眞面目な、如何《いか》にも尤《もつと》もらしい先生の樣子を見てゐると、流石《さすが》に吹き出すのは憚《はばか》られたのである。が、たうとう我慢のならなくなつた笑ひ上戸《じやうご》の吉田が、※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]の締め殺されるやうな奇聲を上げて噴《ふ》き出《だ》してしまつたので、それに釣り出されたみんなの笑ひ聲が堤の切れたやうにどつと迸《ほとばし》つた。春の明るい光線を湛《たた》へた教室の中には、笑ひの波が崩れ合ひ縺《もつ》れ合つて、一時に湧き返つた。
「何《な》、何《な》、何故《なぜ》笑ふ。何が可笑しい……」さつきから教室の中に漲つてゐたざわめきを、薄々感じてゐたらしい先生は、私達の笑聲の爆發と共にかつとなつた。そして先生の顏の平面が急に崩れて、顏面筋が小波《さざなみ》のやうに痙攣《けいれん》したかと思ふと、怒りの紅潮がさつと顏中に走つた。
「怪《け》しからん、國語學が重要だと云ふのが何で可笑しい……」先生は教壇の板に靴底を叩き附けて立ち上つて、劇《はげ》しく呶鳴《どな》つた。
 氣の毒な先生は、私達の笑ひの原因をすつかり誤解されてしまつた。その誤解の爲方《しかた》が、餘りに眞正直らしい先生の性格から産み出された物であると考へた時、その激怒の表情を痛ましく思つたのは私ばかりではなかつたらう。而もその先生に、單純な中學生の心理を巧に綾なして行く程の教授法以外の手管《てくだ》があらう筈もない。痛ましいとは思ひながらも、むきに腹を立ててしまつた先生の姿を見てゐると、やつぱり可笑しさが先に立つて、私も吹き出した。或る者は机を叩いた、或る者はぴゆつと口笛を鳴した、或る者はチェストオと小聲で叫んだ。教室は滅茶滅茶に混亂してしまつた。
「君達は私を侮辱するのか……」かう云つて更に詞を繼が
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