はないかと尋ねたさうだ。十日ほど前に家の半町ほど先に起つた女中殺しのためだが、住み馴れて既に二十六年、東京市内にもこんな閑靜な好ましい屋敷町はさうあるまいと思つてゐた[#「思つてゐた」は底本では「思つつてゐた」]ほどの町内も、あの騷ぎですつかり臺無しにされた感じ。不快この上もない。袋地の奧にある自分の家、出入りの度毎に厭やでも眼に著くのだが、古い日本家を洋風まがひに造りなほした、さう言へば如何にもそれらしい變に陰氣臭い感じの小住宅で、殺された女中の可憐な一田舍娘らしい容姿もぼんやり自分の頭に殘つてゐる。それにしても、近頃盛に探偵小説を愛讀する自分だが、小説の上ではスリリングな殺人事件も現實に近所に起つてみると甚だ以て有り難くない。いや、實に厭やな氣持だ。
 午後、久しく書き怠つてゐた手紙を書く。伏木の妹夫婦へ姪の縁談に就き、ニユウ・ヨオクの妹夫婦へ雜信、仙臺の小池堅治氏へ同氏の著書出版の交渉經過に就き、本郷の北岡壽逸君より亡妻追悼録を贈られた謝禮、その他俗用の葉書三つ。それから暫く讀書。四時半から五時半頃まで晝寢する。
 夜食後、暫くレコオドを聽く。ベルリオズの「幻想交響曲」、ドビユツシイの「海」、シヨパンの「ピアノ協奏曲」、最後にお氣に入りのリストの「ハンガリイ狂想曲第六番」、近頃暫く落ち着いてレコオドを聽く暇もなかつたので今夜は少し盛り澤山だ。それにしても、ここ八九年の間隔をおいて自分のレコオド熱は俄然復活して來た。八月の末に新しい電氣蓄音機を購ひ得たせゐだが、とりわけレコオドの録音の進歩に驚歎する。大正時代の熱中期に買ひ集めた二百餘枚のレコオドのかびさへはえてゐたのを拭き磨いて今更の如く掛けてみるのだが、こんなのを嬉しがつて聽いてゐたのかと呆れるばかりだ。
 七時頃和木清三郎から電話。明日の久保田万太郎夫人の告別式にお辭儀役の件、勿論そのつもりでゐたので謹んで承諾する。十二時過ぎまで讀書。戸外に雨音が聞え出した。

 火曜日――。
 九時起床。しとしとと晩秋らしい冷雨が降りしきつてゐる。時しも久保田万太郎夫人告別式の日、何やら如何にも降るべき時に降つたとも言へるやうな蕭絛たる小さはしい雨だ。正午過妻とともに本郷の喜福寺へ急ぐ。一時から二時過ぎまで井汲清治、和木清三郎、勝本清一郎達と肩を並べてお辭儀役。時時風を交へて降りまさる雨のしぶきの中、文壇藝苑の華やかな顏
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