道を眞直ぐに降りて行つた。Kさんも、私も何か或る緊張から解放されたやうな空虚《うつろ》な心持で、默したまま靜かに歩いた。雲が切れたのか、明るい光線がぱつと私達の背後から輝いた。牧牛の群は既に影を潜めて、緑の草原の上には日差しが斜めになつてゐた。
「私にはとても想像もつかない、不思議な人達です。」と、Kさんは私の方を振り向いて云つた。
「さうです。少くとも私にはあれが人間としてのほんたうの生活だとは思へません。」と、私は考へながら云つた。
何か強い鋭い感激を與へられるやうに期待してゐた私の心は裏切られて、其處には或る物足りないやうな何物かが殘つた。その物足りなさをつき詰めて行くと、やつぱり私には彼等の生活の眞價値が疑はれた。彼等の善或は愛、彼等の沒我或は自己犧牲は貴いものであるかも知れない。然しそれはトラピストといふ限られた世界を出でないものである。云ひ換へれば彼等自身の爲めのものである。私はそれがもつと廣い、そして全人類的な意味を持つことを要求する。またよし彼等が全き人たらんことを目的としてゐるにしても、それが全人類的に何等の交渉のないものであつた時、無意味なものになつてしまふのではあるまいか。そして同時に私は彼等の偏狹な頑固《かたくな》な生活が、基督の教への中に味はれるやうな温かな親しみのある廣い人間的な味を失つてゐることを寂しく思はないではゐられない。
「彼等には果して心の動搖がないであらうか。」と、私は思つた。そしてあの廊下で遇つた日本人の若い修道士の顏附を想ひ浮べた。
「努力の生涯に絶えないやうな不安と矛盾とがやつぱり彼等にもあるに違ひない。」と、私は考へた。一致と徹底とがあつても、また人間は次の一致と徹底とを望まなければならないものだ。そして遂に滿足と云ふことを知り得ないのが、不幸な人間の運命なのではないか。彼等もそれに違ひない。
「そんならば人にはやつぱり眞の安心はないのだ。堅く掴んでゐられる信仰は生きてる間はないのだ。よしありとしてもすべてそれらは瞬間のもの假構のものに過ぎない。死が自分の眼を鎖して人間としてのあらゆる意識を消してくれる時でなければ……」自分の心が次第に暗い處へ引き摺られて行くやうな寂しさを感じながら、私は無意識に歩いてゐた。Kさんは杖を振りながら、私の二三間先を歩いてゐる。私が顏を擧げた時、丘を越えて眞青の海が見えた。
「船はまだ見
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