弘前《ひろさき》、青森、津輕《つがる》海峽を越えて室蘭《むろらん》と寄り道しながら、眼差す苫小牧《とまこまい》へと着いたのが七八日頃、それから九月へかけてのまる一ヶ月ほどを妹夫婦の家に暮《くら》した。苫小牧《とまこまい》は製紙工場のあるだけで知られた寂しい町で、夏ながら單調な海岸の眺めも灰色で、何となく憂欝《いううつ》だつた。そして、ゴルキイの小説によく出てくる露西亞《ロシア》の草原《ステッペ》を聯想《れんさう》させるやうな、荒涼《くわうりやう》とした原の中に工場と、工場|附屬《ふぞく》の住宅と、貧しげな商家農家の百軒あまりがまばらに立ち並び、遠く北の方に樽前山《たるまへさん》の噴火の煙が見えるのも妙に索漠《さくばく》たる感じを誘つた。
 けれども、そんな處《ところ》に毎日を暮しながらも、私の氣持は絶えず一つの興奮の中にあつた。それはその半年ほど前からひそかに想をかまへてゐた「雪消《ゆきげ》の日まで」と云《い》ふ百枚ばかりの處女作《しよぢよさく》をここで書き上げようと云《い》ふ希望が、私の全身を刺戟《しげき》してゐたからだつた。で、私は異郷《いきやう》に遠く旅出《たびで》して來《き》ながらあんまり出歩くこともせずに、始終《しじう》机に向つてはその執筆に專心《せんしん》した。私は眞劍《しんけん》に、純眞《じゆんしん》に努めつづけた。そして、それに深く疲れる時いつも頭を休めに行つたのは、家から寂しい草原《くさはら》の小徑《こみち》を五六町|辿《たど》る海岸の砂丘《さきう》の上へであつた。そこは町からも可成《かな》り離れてゐて、あたりには一軒の家もなく、人影も見えず、ただ「濱《はま》なし」と云ふ野薔薇《のばら》に似たやうな赤い花がところどころにぽつぽつ咲いてゐるばかりであつたが、その砂丘に足を投げ出して涯《はてし》ない海の暗い沖の方に眺め入つたり、また仰向《あふむ》きに寢ころんで眼もはるかな蒼穹《さうきう》に見詰め入つたりしながらも、私はほんとに頭を休める譯《わけ》には行かなかつた。そこにはどう筆《ふで》をつづくべきか、どう描《か》き現《あらは》すべきか、あれでぴつたりしてゐるか、あれでは力が足りないではないか、そんなことが絶えず一杯になつてゐたのであつた。
 さうして五日過ぎた。十日過ぎた。やがて半月たつた。が、苦心努力は空《むな》しかつた。明るい興奮は次第に暗い失望へ
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