やうな高熱來の最中に、私の寢てゐる蒲團の上に、歌舞伎芝居に出て來る黒子《くろこ》と云ふ風體の人間が、それこそ誇張なしに百人も二百人もひしひしのしかかつて來たのだ。無論黒子だから顏なんぞ一つだつて見えやしない。また何のためにそんなに大勢のしかかつて來たのか分らないが、何しろ重さで息が止まりさうに苦しいのと、大波が眞向から押しかぶさつてくるやうな恐ろしさとだ。私は「あつ、あつ……」と、息がつまりさうな聲を絞つて、寢臺の横下に寢てゐた看護婦を呼び起した。やつぱり夜中の事だつたと思ふが、刹那の錯覺ですぐ消えてなくなつた。然し、體にはびつしより汗をかき、息をはあはあ喘がせてゐた。夢の中にもそんな經驗はよくあるが、それはもつと實在的な錯覺だつた。その苦しさ、恐ろしさは今でもまだ忘れ難い。
 一度は、これは自分自身の肉體に對する變な錯覺なのだが、二十三四の時分ひどい神經衰弱に犯された時の事だ。夜床に就いて、電氣を消して視界が暗くなると、どうしたはづみかにいきなりその錯覺が起つてくる。その前には兩眉の間の眉間のへんが妙にむづむづしてくるのが極りだつたが、何しろ自分の體がいきなり涯知らずくうつと延び出すやうな感じがし出す。涯知らなさはまるで自分の體が地の涯から涯へつながる電線にでもなつたやうな感じなのだ。[#「。」は底本ではなし]そして、次の刹那にはそれがまた逆に極微少にちぢまる。まるで自分の體が針にでもなつたやうに、豆粒にでもなつたやうにちぢまるのだ。而もそのマキシマム[#「マキシマム」は底本では「アキシアム」]になる錯覺とミニマム[#「ミニマム」は底本では「ミニアム」]になる錯覺とが入れ代り立ち代り交錯する。初めはまた來たなと思つて我慢してゐるのだが、しまひにはとても恐ろしくなつて我慢にも我慢出來なくなる。そして手をのばして電燈のスヰツチをひねつて、室内がぱつと明るくなると同じ瞬間に、それは忽ち消えてしまつて自分の常態に返る。が、その錯覺の事を思ふと、二三ヶ月の間、夜が來て床にはひるのがこはくてこはくて弱らされた。殆ど滿足に睡眠をとる事が出來なかつた。二階の縁などに立つて庭を見降すと、體を下に投げ出したくなるやうな衝動に襲はれて、はつとうしろにしざつたり、部屋の本箱の抽出にしまつてある五連發の短銃の事をひよいと、思ひ出すとそれを夢中で取り出してどかんと自分を打つてしまひ[#底本で
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