吻
ウプサラ社交界の華ヂレツト・ホテル、裝飾電燈《シヤンデリア》輝く溜間《ロビー》には夜の裝ひを凝らした紳士淑女の群、その玄關先に自動車を乘り捨てたソオル主任警部とエリクソン署長は外套を預所《クローク》に置くと、すぐ支配人に面會を求めた。
「若男爵御夫妻はただ今大食堂の方においででございます。御友人六名樣と‥‥」
慇懃にさう言つて、支配人は二人を早速大食堂の入口へ案内して行つた。と、折柄ダンスの一くさりが終つたばかりで、亞麻色髮《ブロンド》の若男爵フレデリックはその踊相手と、黒髮の持主の美しい夫人のイングンは夫の友達の一人と、何れも自分達の食卓に戻る所だつた。そして、その食卓の上には大きな花鉢に盛られた赤い薔薇が鮮かな色に映えてゐた。
「若男爵にここへお出で戴きませうか?」
支配人がさう尋ねると、ソオルはちよつと躊躇の色を見せたが、とにかく一人の紳士がお眼に掛かりたいから、その邊に小部屋はないかね?」
「ございますとも、あすこに‥‥」
ソオルとエリクソンは溜間を横切つてその方へ歩いて行つた。一方支配人はフレデリックの食卓に近寄ると、ソオルの詞のままをその耳元に囁いた。
「ふふん‥‥」
と、フレデリックは唇に微笑を浮べた。そして、食卓の向ふ側にゐる妻の不審げな眼差をじろりと眺めやりながら、
「誰かが僕に會ひたいんださうな。」
と、陽氣な調子で言つてひよいと立ち上つた。すると、イングンも立ち上り食卓を廻つて來て夫と腕を組み合せながら、
「あたしも一緒に行きますわよ。」
そのまま輕い足取で溜間へ出て來た若男爵夫妻の姿を見ると、支配人は指差しながら、
「あすこの部屋にお待ちでございます。」
「や、有り難う。」
と、フレデリックは輕く言つた。
その時、イングンは傍の椅子にぐつたりと腰を降した。とフレデリックはその脇に佇んで、微笑しながら暫く妻を見降してゐたが、やがて體をかがめるとその美しい顏をぐいと引き寄せて貪るやうに接吻した。そして、イングンの眞白い兩腕が夫の首筋にからむと見えたその一瞬時だつた「パアン‥‥」
と、轟然たる爆音。そして、フレデリックがすつくと立ち上つたかと思ふと、顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]から眞紅の絲を引いてイングンの體は崩れるやうにその足下に倒れ伏した。
あたりは忽ち阿鼻狂喚の巷! 小部屋から躍り出したソオルとエリクソ
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