つて現れる。何故なら氏は其処にも弱味や隙間を見せまいとするから……。然し、これが反対の意味に氏を支配する時、それは氏の芸術境を窮屈にする、不自由にする、若しくは不自然にする。何故なら氏はありのままの自己を其処に出すべく余に智に束縛されてゐるから……。
 畢竟するに、私が芥川氏の芸術に対して不満を感じる根本は其処にある。即ち、私は氏が先づその智の制肘から、支配から脱する事を望みたい。書斎の外に出る事を望みたい。そして、もつと自己を裸にして芸術に、人生に対する事を望みたい。云ひ換へれば、智の境地以上の、全人間的体現を私は芸術家としての氏に求めたいのである。
 然し、ともあれ現在の芥川氏は自ら鞭打ちながら、精進しながら、内に苦しみを抱きながら、その芸術的展開の一つの道程にある。私は何にも云ひたくないと云ひつつも、思ふ処をまた述べ重ねてしまつたが、要するに芸術の道に於ては私は私である、芥川氏は芥川氏である。とも角も思ふ処は思ふ処として、私は氏のその道程の行手を静に見守つてゐたいと思ふ。礼讃の時を其処に期待しながら……。
[#地付き]―十年四月十九日―



底本:「日本文学研究資料叢書 芥川龍之介※[#ローマ数字2、1−13−22]」有精堂出版
   1977(昭和52)年9月10日発行
初出:「新潮」新潮社
   1921(大正10)年6月号
入力:小林 徹
校正:noriko saito
2005年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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