て行く人もある。ざつと言へば、今は亡き作家の中で芥川龍之介などは刻苦精勵型、直木三十五などは先づ奔放自在型だつたと言へるであらう。二人の文章の一端を捉へ來つて對象してみれば、前者のそれには如何に神經が鋭く行きわたり、また一字一字が如何に骨を折つて書かれてゐるかが忽ち感じられるし、後者のそれには如何に筆勢が躍動して、時にはやや粗雜に書きなぐるといふほどに筆が走りまはつてゐるのを忽ち感じるであらう。それぞれに文章としての特色はあれ、結局氣質が如何に文章に働きかけるかをおのづから語るものだ。

        4

「美しい愛すべき珠玉のような‥‥」
 これはトルストイがアントン・チェエホフの作品に與へた賞め詞だ。實際、チェエホフは短篇作家として世界文學の最高峰に立つてゐると言つても過言ではない。數多くのその短篇は美しく簡潔で、例の「涙を含んだ微笑」と言はれる一種の物懷しい情緒《ペイソス》をたたへながらも、その人生に人間性に放つ眼は鋭く透徹してゐる。が、珠玉とも言はれるだけにその創作に當つての苦心努力はもとより容易ではなかつたらしい。いつたい文章の冗漫拙劣な短篇作家などは到底考へられぬ譯でもあるが、殊にチェエホフの文章に對する推敲琢磨振りは一方ならぬものがあつたらしい。

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「どうぞもう持つて行つてしまつてくれ給え。僕の手元に置いとくと、あんまり短く短くと骨を折り過ぎて、どうやら文章が無くなつてしまひさうだよ。」
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 これは或る時チェエホフが雜誌の編輯者に言つた冗談だと言ふが、原稿が眼の前にある限りチェエホフは文章を簡潔に適確にしようと努めてやまなかつたらしい。ちやうど寶石細工人が玉をけづり磨いてほんとの美しい光と形を得ようと努めるやうに‥‥。

        5

 世界文學に於ける最も偉大なるリアリストと言はれるフョウドル・ドストイェフスキイはかの驚くべき長篇小説の數多くを殘して行つた。ドストイェフスキイはその精力的な寧ろ恐ろしいほどの筆の力のままに營營と書いた。時には殆ど走るやうに書きなぐりさへした。たとへば或る時代ドストイェフスキイは貧困のどん底にあつた。幾日も十分な食事が取れないために乳呑兒をかかへながら妻は乳が涸れるほどの非慘さだつた。そして、ドストイェフスキイは一刻も早く原稿を金に換へなければならないために額に汗を流しながらペンを動かした。机の脇につきつきりの編輯者は印刷を急ぐためにその原稿を一枚一枚はぎ取るやうに持つて行つた。

「己はトルストイが羨ましい。何と奴は悠悠と原稿を書いてゐる事か?」

 或る時ドストイェフスキイはさう呟いたといふ。格別な家柄でもなく一介の土木技手上りに過ぎない貧乏な作家と、大地主で大金持で伯爵の名門に生れた作家と、その呟きには何か胸を打つものさへあるが、とにかくドストイェフスキイは時には境遇的にも自分の原稿を讀み返す暇さへ持てなかつた。が、大體氣質的にも奔放自在型の作家であるドストイェフスキイは特に文章を推敲琢磨するといふやうな努力は全然持たなかつた。その點刻苦精勵型のチェエホフとは全く反體で、手元に置けば置くほどその文章は或は長くなつたかも知れない。從つて、ドストイェフスキイの文章は時とすると粗雜で冗漫で、思はず欠伸を感じるほど退屈な場合さへある。然し、それにも拘らずドストイェフスキイはなほ且つ偉大なのだ。

        6

 チェエホフとドストイェフスキイとは、同じロシアの産んだ優れた作家ながら二人はあらゆる點で對蹠的だ。他の點は別問題として、今二人の文章を較べてみると、作家の氣質といふものがそれと相互的にどう働き合ふかがよく分る。前者は線の細い、頭の冴えた、幾らか神經質ではあるが、靜かな、温厚な、優しみのある紳士型、後者は線の太い、鋭い恐ろしい凝視力を持つ、進撃的な、意志的な、力強い鬪士型、そこに想像される二人の氣質の相違は必然に文章の相違となつて現れてゐる。前者は纎細簡潔、冗漫や無駄を嫌つて一字一字を惜みながらコツコツと筆を運んだが、後者は深刻重厚、筆力のあふれるままにグングン筆を走らせた。後者の文章に熱と力と劇しい情感の渦が感じられる時、前者のそれに味はれるものは美しさと典雅さと懷しい情緒《ペイソス》の魅力である。もとよりそれぞれに一家の特色を持つてゐる二人の文章に是非優劣などは言はるべきでない。假りにドストイェフスキイの文章が時に粗雜退屈の感を免れず、チェエホフのそれが時にあまりに弱弱しく微温的だと感じられるにしても、それは大局から見ては勿論何物でもないであらう。要するに優れたる偉大な作家ほどその文章の中に自己を、己れの持前をはつきり生かすものだといふ事を看取すべきである。そして、繰り返して私は言ふ、一人の人間の文章が達
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