《カバレエ》「アポロ」の外へ飛び出した。
「歩いて歸らうぢやないか……」と、外套の襟を立てながら、水島君は云つた。
「ああ、さうしよう……」と、私は直ぐに應じた。
 高い煉瓦塀にせばめられた暗い路次を通り拔けて、K街の大通へ出ると、街燈の鈍い光の中に客待ちしてゐた五六人の支那人の俥引達がばらばらと二人の側へたかつて來た。
「不要《プヤウ》……」
「不要《プヤウ》……」
 變にむかつ腹の立つやうな氣持でかう繰り返しながら、うるさく迫つてくる俥引達を振り向きもせずに、更け鎭まつた大通のうす暗い歩道の上を、水島君と私とは俯向き勝ちに歩き始めた。
 ハルピンの十月末、と云つても、あたりはもう索漠たる冬景色だつた。すつかり葉をふるひ落した裸のポプラ並木、からからに凍りついた歩道、明りを消し、二重窓を降して冷たい沈默を包んでゐる煉瓦や石造りの暗い家並、毎日毎夜の不安な空氣に脅かされてゐる町は、朝から曇つたままに暮れ落ちた暗澹たる夜空の下に、わけても眞夜中過ぎのその夜は、人通さへ稀に無氣味な程に鎭まり返つてゐた。處處のとろんとした薄暗い街燈の陰に腕を組みながら、眠さうな眼を見張つてゐる支那人巡警の影のやうな立姿、暗い横町の檐下に客待ちしてゐる支那人車夫のうろん臭い顏附、前部燈をきらきら光らせながら時折何處からとなく疾走してくる、何かの秘密でも載せてゐさうな自動車の影、厚い外套越しに染みこんでくる夜寒さに體を丸めながら、水島君と私とは互に默り込んだまま小刻みに足を急がせて行つた。
 勤めてゐる大連のM會社の或る仕事のために、私がハルピンへ來たのは、その一週間程前の事だつた。水島君は私の中學時代の同窓で、外國語學校露語科の出身者で、K商事會社の支店員だつたが、互に仕事の餘暇を誘ひ合せて、大正――年の秋、反過激派の勢力が衰へて過激派の勢力が次第にシベリアを南下してくると共に不安騷然たる空氣に包まれてゐるハルピンの町を、日となく夜となく彷徨ひ歩いたのであつた。淫らな見世物のある公園のバアへも行つた。歡樂と頽廢の空氣の漲つてゐる幾つかの酒塲も訪ね歩いた。支那の阿片窟へもはいつて見た。馬賊の銃殺も見物した。零落したロシヤの帝政時代の人達の悲慘な生活振も日日眼のあたりにした。強盜、殺人、喧嘩、自殺――さうした見聞にも幾度となく脅かされた。そして、翌日の夕方大連へ立つと云ふその晩は、酒塲《カバレ
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