しさうにまさぐつてゐるのであつた。が、外國人にしては小柄な體を肩越しにぢつと見詰めながら、その着てゐる上着のひつつこい更紗模樣にふと氣が付くと、私はそれがロシヤの婦人に違ひない事を刹那に感じた。そして、何のために呼び止めたか、どんな種類の女であるかを頭の中にす早く考へてみた時、「素人の賣笑婦」と云ふその想像が瞬間に閃き過ぎた。
「どうぞ、わたくし、家、來て下さい……」婦人は俯向いたまままた歎願するやうに繰り返した。
瞬間の想像は私を答への詞にためらはせてしまつた。が、それと氣附いて或る落ち着きを得た私の心には、婦人に背中を向けようとする一つの感情と同時に、婦人に惹かれようとする好奇心らしい感情が明に動いてゐた。そして、其處にはなほ無氣味さに對する氣おくれの心が働いてゐたが、さめかけたとは云へまだ殘つてゐる幽かな醉心地が私をそそのかし始めたのも事實だつた。答へ澁つたまま、私は暫く身動きもせずに佇み過した。
と、婦人はちらと私を見上げて、また眼を伏せながら、半分口の中で不意に云つた。
「一圓《アデインゑん》、宜しいです。」
來たな――と云つたやうな、くすぐつたい氣持だつた。もう疑ふ餘地もなかつた。私は水島君から「一圓《アデインゑん》……」を繰り返しながら日本人を呼び止めると云ふ零落したロシヤ人の素人賣笑婦の話を、色色聞かされてゐた。私は眼を落して、すくんだやうに佇んでゐる女をもう一度頭越しにぢつと見詰めた。何となく痛痛しい氣持がした。が、次の刹那には、何故か私の心には臆病な道義心も、氣おくれもなくなつてしまつた。そして、欲情と云ふよりも、寧ろ不思議の世界に對してそそられた好奇心から、妙に自分を力づけるやうな努力的な氣持で私は云つた。
「行かう……」
すると、女は彈かれたやうに私を見上げて何かを云つたが、それは何の意味か聞き取れなかつた。が、滿足らしい微笑を浮べながら、急に勢づいた樣子で今まで歩いて來た道を急ぎ足に戻り始めた。私はその左背後から、變に苦笑されるやうな氣持で無言のまま追ひ從つて行つた。半町程も戻つたかと思ふと、女は私の少しも氣附かなかつたまつ暗な、狹い路次を左手へ曲つた。そして、振り向かうともせずに、何か知らむつと塵芥《ごみ》くさい臭ひのする、右左に煉瓦塀のすれすれになるやうな道をせかせかと歩き續けて行くのだつた。
「あなた、イギリス詞《ことば》、分
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