々、水が往來を流れてゐて面白かつたわ。玉簾の庭はめちやめちやなの。瀧はいつもの倍の倍位大きくなつてゐるのよ。あのお池の側の離れ見たいなものね、あれなんかも流れつちまつてゐるのよ。
 なんにも喰べる物がないから、お茶屋で懷中じる粉を買つて、お湯で解いて飮んだの。そしたら小さい日の丸の旗が出てよ。旅順口《りよじゆんこう》なんて書いてあるの。餘つ程古い懷中じる粉なのねえ。※[#始め二重括弧、1−2−54]懷中じる粉は買つたのではないのである。お茶屋ではもう何處かへ逃げてしまつて誰もゐなかつたのである。梅龍達はそこらに落ちてゐた懷中じる粉を拾つて來て水で解いて飮んだのである。これはもうお富に聞いて、わたしはちやんと知つてゐる。※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 それから歸り道に大きな石を拾つたの。それは隨分大きな石なのよ。三人で一生懸命に持ちやげたの。どうかしてこの石で姐さんを欺して遣らうと思つて、新聞屋へ寄つて、新聞紙を一枚貰つたの。それからその新聞紙で石を丁寧に包んで、おはぎの積りで持つて歸つたの。
 家へ歸ると姐さんは一人で本を讀んでるのよ。「姐さん、おはぎをお土産に買つて來ましたよ。」つて、石を出すと、姐さんは本から眼を放さないで、「あいよ。」つて手を出したの。受けると馬鹿に重いもんでせう。きやあつて言つて驚いて庭へ投げ出しちまつたの。地響きがしてよ。姐さん隨分怒つたわ。
 庭に穴があいたもんだから宿屋の人にも叱られてよ。でも隨分面白かつたわ。
 水の時の話はそれつきりだけど、まだ跡で面白い事があつてよ。あたし達の泊つた箱根の春本の藝者で小玉《こたま》とか何とかいふ人が、この頃赤坂へ來てゐるのよ。こなひだ三河屋で一緒になつたら、向うの方で頻《しき》りに水の時の話をしてゐるのよ。あの時は家へ來て泊つた鈴木のお客に餘所行の下駄を二足とも穿《は》いて行かれてしまつて、あんな困つた事はなかつたつて言つてるのよ。水が濟んでから二三日してお座敷へ行かうと思ふと下駄が足駄も駒下駄も兩方とも無かつたんですつて。
 あたし、どきつとしてよ。あたしが穿いて出た下駄に違ひないんですもの。あたしあの時なんでも構はず出てゐる下駄を突つかけて出た覺えがあるの。
 それから、あたしその小玉さんとか言ふ人にあやまつたわ。あたし、あやまるの大嫌ひだけども、泥坊つて言はれるのは厭だからあやまつたの。そしたら、向うぢやもうあたしの顏よく覺えてゐなかつたわ。損しちやつたわねえ。
[#地から2字上げ](明治四十四年十二月「中央公論」)



底本:「日本現代文學全集 34 岡本綺堂・小山内薫・眞山青果集」講談社
   1968(昭和43)年6月19日発行
初出:「中央公論」
   1911(明治44)年12月
入力:網迫、土屋隆
校正:小林繁雄
2006年7月18日作成
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