て、明くる朝、定めの家に六人集って見ると、六人が六人とも、鼻頭《はなさき》をそぎ取られていて、満足の顔の者は一人もないのであった。
「暗闇祭には怪物が出る。まさか神わざとも思われぬが、いかにしても残念。その正体を見届けて、退治て貰わなければ堪忍ならぬ」
六人が六人とも、もとより暗闇の中の事ゆえ、正体を見届けようもなかったが、何者やら知れず前に立ったと思うと、忽ち鼻を切られたのだという。ただそれだけで一同取留めた事実が無かったのだ。
「天狗《てんぐ》の所業《しわざ》と云ってしまえばそれまでだが、いわゆる鎌鼬《かまいたち》の悪戯《いたずら》ではござるまいか」という説もあった。
「いや確かに人間でござった。心願あって、六所明神の祭礼に六つの鼻を切るという願掛けでも致したのではござるまいか」という説もあった。
「なれども、六人が六人とも切られたところに疑いがござる。こりゃ長沼の道場に遺恨のある者が、六人を見掛けて致したのではござるまいか」という。この説、はなはだ有力となった。
「しかし、まだほかに、鼻を切られた者があったかも知れ申さぬ。ありとすれば強《あなが》ち、長沼の門人とのみ限られたわけでもござらぬで」という説も出て、要するに何の目的で誰がそのような悪戯をしたのやら、少しも見当がつかぬのであった。
小机源八郎も、これには多少の興味を持たぬではなかったので、
「よろしい。しからば拙者、府中へまかりこし、怪物の正体を見届け、巧《うま》く行けば諸氏の敵も討ち申そう。しかし、まかり間違ったら拙者の鼻もいかがでござるか」
笑いながら出て行った。
二
江戸より府中までは八里。夕方前に小机源八郎は着いた。
府中はいまさら説くまでもなく、古昔《いにしえ》の国府の所在地で、六所明神は府中の惣社《そうじゃ》。字は禄所《ろくしょ》が正しいという説もあるが、本社祭神は大己貴命《おおなむちのみこと》、相殿《あいでん》として素盞嗚尊《すさのおのみこと》、伊弉冊尊《いざなみのみこと》、瓊々杵尊《ににぎのみこと》、大宮女大神《おおみやひめのおおかみ》、布留大神《ふるのおおかみ》の六座(現在は大国魂《おおくにたま》神社)。武蔵《むさし》では古社のうちへ数えられるのだ。
毎年五月三日には、競馬《くらべうま》が社前の馬場において、暗闇の中で行われる。四日には拝殿において神楽が執
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