え忍ぶことができる、浪速《なにわ》へなりと、上海だって、街のエロチシズムの集散地へなりと、こころのままに行くことができる。
 前髪に蝶結びのリボンを巻いた踊子の意気姿、かの女はもとよりショウト・スカウト、ハイヒール、流行色の粧《よそお》いが艶やかだ。

     waltz

 ダンス・ホールの溶暗《ようあん》のなかで、僕たちは縫目のない肉体のように結びついた……………。そして、赤い蝶のようにホールを旋回しながら、僕は粟鼠の毛皮をつけた甘美な女の顔の花園を眺めながら云うのだ。
「――僕は、あなたを、どう解釈したらいいんでしょう?」
「――そんなこと、ご自由だと思いますわ。」
 不可思議な女の声にあらわれるメロデイを感じて、
「――そんなら、僕と、ホールからお出掛けになりますか?」
「――あたし、お供したいんですわ。」
「――何処へ?」
「――あたしのこと、なにもかも、あなたにお委《まか》せするのです。」
「――………しかし。」
「――………おいや。」
 妖しい蠱惑《こわく》のなかに、僕は色欲の錨《いかり》を沈めてから、粟鼠の毛皮の外套についた無数の獣の顔を愛撫した。
 辻待自動車のなかであった。
「――僕は、あなたに恋愛をするかも知れませんよ。」
「――あたし、そんなこと、好きでなくってよ。」
「――いや、僕にはそれ以外のことはつまらないことなんだ。」
「――あら、なぜ、そんなに亢奮《こうふん》なさるの。」
 裏街を行く車窓にメインストリートの上層の華美な電飾が反映していた。
「――……接吻しますよ。」と、僕が云った。
「――……いやです。」と、云う栗鼠の毛皮の外套をつけた女の真珠貝のような耳垂が、センネットの場合の感覚をもって…………――――。

     ★

 下町の袋小路にあるホテルの一室ヘ、僕は僕の恋心を監禁してしまった。
 そして、僕は酔ったときの癖で、鍵穴に秘めた最期の手管《てくだ》をもって、ダンス・ホールからの女友達を眺めた。
 だが、そこには栗鼠の毛皮の外套をつけた、僕にたいする敵愾心《てきがいしん》を青ざめた顔面に浮べた女性が寝台の柱に凭掛《もたれかか》っていた。
「――……どうしようと、お思いになるの。」
「――……あなたを娼婦として、僕はおつき合いしたいんです。」と、云いながら、僕は外套を脱《と》ると、ソファに埋《うずも》れて青い小切手帳を示した。
「――いくら?…………」
「……………………………」
「――僕は、あらゆるものをあなたのために失くしてもいいんです。」
 しかし、彼女は青磁のリノリウムに花の浮いた波浪をつくると、突然、佗《さび》しさを堪えた悲しみの堰《せき》がこわれるのだ。
 その、彼女の涙の洪水に、僕の不徳が押し流されてしまうのだった。
 僕は黙って立上ると、鍵穴を埋めた冷やかなものに触れた。妙に官能的な音がした。
「――………お帰えんなさい。」と、甘美な気分のなかで僕が云った。
「――……ええ。」啜《すすり》泣くのをやめると、栗鼠の毛皮の外套をつけた女は、コンパクトで化粧をなおしてから、
「――あたし神戸だわ、でも明夜の十時五十五分の列車で妾《わたし》帰ります。」
「――さようなら。」
「――……さようなら。」

     ★

 とつぜん、受話器を外した電話を衝撃する音が、僕と魑魅子のこころをときめかした。
 一瞬間、儚《はかな》かった恋愛の泡が消えて、エモーションの波のなかに僕は、繊細な事件のために魑魅子にあたえた心理的な新らしい恋愛の鋳型《いがた》を見るのであった。



底本:「吉行エイスケ作品集」文園社
   1997(平成9)年7月10日初版発行
底本の親本:「吉行エイスケ作品集 ※[#ローマ数字2、1−13−22] 飛行機から墜ちるまで」冬樹社
※底本には「吉行エイスケの作品はすべて旧字旧仮名で発表されているが、新字新仮名に改めて刻んだ。このさい次の語句を、平仮名表記に改め、難読文字にルビを付した。『し乍ら→しながら』『亦→また』『尚→なお』『儘→まま』『…の様→…のよう』『…する側→…するかたわら』『流石→さすが』。また×印等は当時の検閲、あるいは著者自身による伏字である。」との注記がある。
入力:田辺浩昭
校正:地田尚
2001年2月19日公開
2009年3月12日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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