る途中であった。英国の専制のなかに宙を乗った彼等がセント・ジョウジ・プレスから汕頭《スワトウ》人の車夫に曳《ひ》かれて、銅羅《どうら》湾の火薬庫の挙壁を眺めながら石塘嘴《せきとうほう》の万国館に入るのであった。
ここでターバンを巻いた印度人、皮膚の色褪《いろあ》せたペルシヤ人、半黒焼のマレー人、亡国的なポルトガル人などの群に交って北京を出発してから半ヶ月後、支那の現代のシステムに出現した支那女との恋を棄てて北京以来の友である陳子文と米良は病み疲れていた。武漢の共産軍が敗れ、上海の市街戦で同志は一掃され、ボロジンは九江より南昌に[#「南昌に」は底本では「南晶に」]隠れ、それ以前ボロジン夫人は密書とともに捕えられ北京の軍法会議に廻されたのであった。先人|李石曹《リーシーツワン》は何故か同志の実戦に参加しないで上海より広東《カントン》に身を避けたのであった。それにも拘《かかわ》らずいまでは南京《ナンキン》と広東の提携説さえつたわるに至った。工人を指導した陳独秀が、いまでは南京総司令の策略によって彼の首が無産者の弗箱《ドルばこ》に変わるのであった。
ペルチスタンの印度兵の眼を避けて支那の裏
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