女にはインテレクチュアルな新しい美を、ニグロの女には鋼鉄のビリダリアの官能を、そしてもしそこにノラがいれば彼等は彼女にエロチシズムの教訓をうける。
 郷愁は、[#「郷愁は、」は太字]ノラが五歳になったとき父はカンボジヤ女である母と娘を連れて上海にやってきた。ノラの教育のために。父は江蘇省、海州に生れたカンボジヤ華僑であった。彼はサイゴンとプノンペンを往来する商権の保持と、為替《かわせ》ブローカーをやり、かたわらカンボジヤとシャムの国境に巨大なゴム園を経営していた。ノラはかくして富裕な家庭でもとシソワット王宮舞踊場の踊子であった母の美しい愛撫によって育成された。母はノラにカンボジヤの熱帯の景観について話して聞かしてくれた。プノンペンの街、タマリンドの街路樹、メコン河の流れ、シソワット王の城内、彼方には椰子《やし》の林があり、赫熱とした熱帯の強烈な太陽の直射と、熱風を避けた王城内でノラの母はシソワット王と廷臣の居並ぶ玉座のまえで、オーケストラと数十人の唄い手の歌声のなかで華麗な彼女はカンボジヤの踊りを舞うのだった。母は終日、彼女にあたえられた部屋で過去の瞑想にふけっているようであった。
 商権は、[#「商権は、」は太字]ノラの父は華僑のもつ把握しがたい観念をもっていた。それは汗の民衆が商権の支配者になった生活のうえの産物であったかもしれなかった。父はプノンペンを恋の集散場としてのみ、ノラとその母にたいする愛敬のためにのみ心を惹《ひ》かれた。彼はベグノニアの花園を踏んで商業的騒音に生きる、商権の雑音を愛した。彼はサイゴンの穀物の集散市場、その灰色の風景のなかの男であった。ドンナイ河に翩々《へんぺん》と帆かけた米穀輸出船は彼の指揮によって饑饉《ききん》と、戦禍の彼の本国に積出された。また彼はプノンペンから自動車に搭乗して国境のゴム園に車をカンボジヤの原野、白鷺《しらさぎ》の飛ぶ直線道路を、水田に遊ぶ水牛のなかを疾走させた。そこでは彼の富のために働く同胞がいた。ノラはこのような父と母によって中間の一民族として育ってきた。
 幸運は、[#「幸運は、」は太字]ノラは幸福であった。近代の男性は薄鼠色の皮膚が好きであった。彼女が踊りにおいてツレブラを好むように、彼女の色素の複雑さが、ジャズが夜中のサイレンのように鳴り渡る都会人の愛情を占領してしまった。そのとき彼女の父は為替相場の変動のために、彼の商権に致命傷をうけた。必然的に銀暴落の大海嘯《おおつなみ》が全土を襲ったのだ。そのことは弱小資本主義にたいする、巨大な金融資本主義の侵略に過ぎなかったが、このことは銀本位の貨幣制度に永遠の絶望をあたえた。しかしノラは快活に自己の生活を開拓して行った。彼女は百貨店レーン・クロフォードの女店員になった。そこにはアメリカ娘も、英国娘も、そして日本娘も生活のために働いていた。ノラは一階のマーケットで彼女のエロチシズムと薄鼠色の蠱惑《こわく》で商品を粉飾した。だが、漸《ようや》く彼女の生活には貧困が訪れてきた。ノラの棲むフランスタウンの瀟洒《しょうしゃ》なバンガロウも白粉を落さなくてはならなかった。そしていつのまにかノラは支配人、ディー・ダブリュー・クロフォードの妾《めかけ》になっていた。
 没落は、[#「没落は、」は太字]百貨店レーン・クロフォードの株主総会で六七四株を代表するクロフォードは議長席について悲壮な報告をした。即ちレーン・クロフォード半期欠損額九万五千七百六十元四六|仙《セント》、これが填補《てんぽ》は前年度繰越金から二万六千九三元五一仙、株主準備金から二万元、一般準備金から五万元をもってする。欠損の主因はファーニッシング・デパートメント仕入の際、英為替二|志《シリング》三|片《ペニー》であったのが送金のとき二志以下となる。よってファーニッシング部は廃業して、南京路入口、アウトフィッチング・デパートメントの一部とともにスコッチ・ベーカリーに賃貸するに至れり。これにたいして株主の一人であるケャムペルは閉店を提議したが、これは大ブリテンの名誉のために採用にならなかった。このとき株主によって提唱された他の重大な欠損理由は不況のため高級品の販売絶無となる。支那人経営の百貨店、永安公司、新々有限公司、先施有限公司等の大デパートメントの発展による影響、さて、従業員があまり美しすぎる。
 術策は、[#「術策は、」は太字]当然の結果としてノラはディー・ダブリュー・クロフォードと別れなくてはならなかったが、これは財界における一つの悲喜劇であった。支那経済恐慌の主因をつくった英国の政策が、上海英国財閥の没落の過程をつくろうとは。だが、これはいささかの犠牲だとすればもとより小事件に過ぎなかった。ノラはクロフォードと別れるとともにレーン・クロフォードの売子でもなくなった。
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