きたらしいわねえ。いいわねえ。カフェーでもいれますか?
――ありがと。
スマ子女史はワイシャツの縫目からミス・フランセのコバルトの細巻をとりだして火をつけると、蒸気のこもった部屋に水沫《すいまつ》のように緑色の煙を吐き出して、
――だが、人に聞くと君はちかごろ恋のテクニックに夢中なんですって? ほんと?
――うそだよ。
カフェーを沸かしながら彼女は卓上電話をとると、麹町にある彼女の経営している店に電流を通じて、その日のスケジュールをつくるために店員たちと約束客の時間の繰合わせについて打合せを始めた。
午前九時前であった。
――ちょいと君はこんどのクリスマス・イブには妾になにを贈ってくれる?
――精神的なものを――。
――じつはね、妾、君にクリスマス・プレゼントしたいのよ。なにがいい。
――僕は――ね、楢原氏や久能氏がダンスするだろう。あの素晴らしい光景をみているうちにすっかり踊子のもつ魅惑に蠱《まど》わされてしまったのだ。
――あら、それがどうしたっての? もっとも楢原さんのダンスは玉置さん仕込みだけあってボールが板の間についていてわるかぁないけど。
――僕はね、あの小説家の楢原氏のように正確なダンスでなくっても、もっとセンジュアルなのでもいいんだが、君から習いたいんだけど。
――それからどうするの。
――クリスマスの夜にそれを適宜に用いようと思うのだけど………………。
――妾忙しいわ。そんなことにかまってられません。
スマ子女史が苦《にが》わらいして立あがった。午前九時にやってくる月極のタクシーがすでに玄関わきで彼女の出勤を待っていた。
4
午後五時すぎに田村英介氏の部屋の卓上電話が、ジャバの女の快楽のときの悲鳴に似たときのこえをあげる。
受話器をとりあげる。スマ子女史のわらい声がこだまする。彼女が電話の気分を出そうためにいたずらにフォックス・トロットをかけている。「ハロー」「うん――。」「なにをしてるの?」「近代生活を読んでいる。」「妾、銀座へ夕餐《ディナー》をとりに行くのよ。」「どうぞ…………」「君つきあってくれない。」「O・K」「そんならタクシーで誘いますよ。」
タクシーが日比谷かいわいまでやってくるとスマ子女史はハンド・バッグから口紅をとりだしてお化粧をはじめた。
――おしゃれかい。
――そうよ、口紅ぐらいつけなくちゃネオン・サインにたいしてすまないわ。
すでに、くるまが尾張町の交換地帯で停止していた。
――タイガーで支那料理はどう?
――そういえばタイガーの入口の電飾はにんしんした支那女の入墨《いれずみ》のあるお腹みたいだぜ。
ハイ・ヒルの靴を支那女の腹部に背をみせると、機械色のスカートのなかで小きざみに足並をそろえて彼女があるきだした。
――フジ・グリルのビフテキは?
――いいわ。
街のコーナーから灰色の影を消して彼氏と彼女はフジの二階にさっさと登って行った。そこの卓子《テーブル》の一隅にはパラマント・オン・パレードで男前を見せたかのマツイ翠声《すいせい》がお可笑《かし》な顔をしてスープをすすっていた。そう云えばさっきフジに面した舗道に汚い小型自動車が棄ててあった。マツイがこの小型フォードを操縦する手並を想像してスマ子女史は愉快になっていた。猫舌のアメリカ人がスープを睨《にら》んでいる。
いつのまにかスマ子女史の「彼氏浮気もの」は階下の電話口にやってきて四家フユ子を呼びだした。
「なにをしてるんだい、え? コオセットをはめてるところ………………靴下はもちろん黒檀《こくたん》色がいいよ、だが門外不出、自分で自分を監禁することはできないって? いや待ちたまえ、すぐ行く。貴嬢のご機嫌《きげん》奉仕をつかまつる。じゃ待っていてくれるか…………そいつはありがたい。香料は今晩はミモザがよかあないか。」
卓子ではスマ子女史がビフテキに銀色のナイフを深く惨ませて云った。
――浮気?
――さうだ。
――じゃ妾、ここを出てフロリダで一踊りしてから帰っていますわ。
――ああ。
――そのかわり、クリスマスには精神的な贈りものをきっとくれる?
――ああ、精神的なものを…………。
底本:「吉行エイスケ作品集」文園社
1997(平成9)年7月10日初版発行
1997(平成9)年7月18日第2刷発行
底本の親本:「吉行エイスケ作品集 ※[#ローマ数字2、1−13−22] 飛行機から墜ちるまで」冬樹社
1977(昭和52)年11月30日第1刷発行
※底本では「!」は全て右斜めになっていたが「!」に変更した。
※底本には「吉行エイスケの作品はすべて旧字旧仮名で発表されているが、新字新仮名に改めて刻んだ。このさい次の語句を、平仮名表記に改め、難読文字にルビを付した。『し乍ら→しながら』『亦
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