の扉を繊奢《せんしゃ》な澱《よど》みもなく暴々《あらあら》しくノックした。
「カム・イン。」
 太い男の声が扉のすき間からもれると、太田ミサコは部屋につかつかと這入ると、彼女は盲目のように寝衣《パジャマ》の男を見つめた。
「やあ、部屋をまちがえた花嫁のようにてれているじゃないか。」と、巨大な男は彼女に青い尻をむけて云った。
 すると太田ミサコは、ソファに片脚あげて、ストッキングを結んだ華美な薔薇の花模様の結び目をゆるめると、
「いくら破廉恥《はれんち》でも淫売婦の逢《あ》い曳《びき》じゃないのよ。」
「これは失礼。だが、不眠症になるような取引を申しこまれたのはどこのマクロー様かね。」太田ミサコは鉤形《かぎがた》の鼻を鳴らして殺風景な部屋椅子に腰を下ろすと、埃のつんだ卓子《テーブル》に片ひじついて、
「ほほ、それではバル・セロナ生れの伊達《だて》ものには見えないわ。それともお前さんは妾《わたし》に弱味でもあると思っているの。」
 すると、奇怪な男がおどけて云った。
「ミサコ女史よ、巴里《パリー》ではミモザの花は一輪いくらしますか。」
「ムーラン・ルージュの恋物語でございますか。はい、一輪お高うございますわ。」
 色の黒い肥まんした男が腹をかかえてわらいだした。片ひじついた彼女の鋼鉄のような腕に血管が運河のように青く浮きでた。
「それでご用は?」と、無作法に両股をひろげて男が云った。
 すでに彼女は隠密にものを云う女になっていた。
「あら、こう云ったからって妾は打算と赤鼻が好きさ。ぜひお願いしますわ。と、云うのは妾が愛撫してくれる男を待っているわけじゃないわ。実はマクローにだって衣裳が要るように、あなた妾を労働女にして街に棄てないでちょうだい。分って。」
 厚化粧した彼女の覊絆《きはん》の下で男が云った。
「わしはそのお礼によって、あとくされと紛議をかもさないように奥さんにご用立てしましょう。」
「利子は妾よ。」ずばりと彼女は云うと、化学的な香料のにおいを発散させながら、黄煙草のけむりで太田ミサコは傲慢なわらいを浮べた顔をくもらせた。
 しかし、タイプライター刷のような事務的な男の言葉がつづいた。
「カァキイ色の小切手を出しましょう。失礼ですが、奥さんは必要なもののありかをご存じですか。」
「いただくわ。契約するわ。」
「期日は。」
「只今だわ。契約期限切れは赤の他人だ
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