が仲買人たちの耳に瞬間に数千の符牒《ふちょう》を発した。踏むものが一巡するごとに、人々がなだれをうって台場台場をうずめた。そのたびに、黒いつめえりをつけた行員が矢のように場内を馳せまわった。
 太田ミサコは売あびせのために底値を入れた××新株の反撥を予想して買いあつめると、雑株安をねらって、引たたぬ××百貨店株を後場引値《ごばひけね》で、これを指名人に買わすとさっさと場内を引あげた。強弱の火華を消して無念無想の境地をもとめて人々が四散した。

     8

 白いカラーをつけた、黒奴《ニグロ》のジャズ・シンガーが高層から拡声器に厚い唇をあてて流行歌を唱いだした。都会に宵暗《よいやみ》がせまって、満艦飾をした女がタクシーを盛り場にとめると、貴婦人気どりで歩道を行ったり来たりした。地下室の踊場では、タキシードの男と、夜会服から黄色い腕をだした踊子とが胸と胸の国境をデリケートな交錯で色どりながら踊った。
 ポール流行品商会の二階の美容室では、太田ミサコが弟子にからだ中に花粉をはたかせていた。ひる間商品窓に飾ってあった、マルセーユの歌劇女のきるような華美な衣裳をつけて、白い羽根のついた黒い帽子を目深《まぶか》にかぶり、ネロリ油の強烈な蠱惑《こわく》的な香をさしてサーカスの女のようなミサコは高慢な夜を感じていた。
 夜の界わいを、極度に断截された近代娘《モダンガール》たちが、短いスカートと男のような乳房と新しい恋愛教科書によった独立の精神をもった彼女たちが、キャバレットとバーと夜の百貨店へくりだした。ホワイトマンによって教練された女達のなかにまじって、十九世紀の万国旗に包まれた太田ミサコが船出する。
 一刻後、東京劇場の中央の位置に人々は彼女を見出だした。幕間になると彼女は放蕩親爺《ほうとうおやじ》の好色眼と若い男たちの漫然とした不可解な顔と、理智的な侮蔑《ぶべつ》のなかをクジャクのように満開して、奈落から通ずる楽屋へ座頭のヤマジ・マツノスケを訪ねた。マツノスケは彼女を見ると番頭を遠ざけてから云った。
「やあ、奥さん。驚くべき美しさですなあ。あんたはいつでも僕に女性にたいする懐疑を棄てさせますよ。」
 ミサコはオペラ・バッグから祝儀袋をだすと彼にわたしながら、
「妾はあんたのお世辞をきくともう夢中になってしまっているのよ。しかし妾は宣伝はわすれないわ。幕間はあんた、場内の視
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