けれども、あれに較べると、日露戦争はいっそう影響するところが多く、その結果思想界にまで変化を及ぼすに至ったのは怪しむに足らないと思う。もっとも大正年間に入って世界大戦があったからして、これまた非常な変動をもたらしたのであるけれども、世界大戦に先立っては日露戦争がわが日本にとってはながく深刻な印象を与え、非常な影響をわが思想界に及ぼしたのである。それで、日露戦争後は個人の自覚が顕著となり、狭隘《きょうあい》なる愛国心よりたちまち目醒めて、世界的の広大なる精神が俄然発達し、ある者は特に社会問題に深大なる注意を払うようになってきたのである。それで、明治三十八年をもって思想界に一時期を劃したものということもまた一つの見方であろうと思う。マア大きくみればかかる小さな区別はさほど重要でないかもわからぬけれども、しばらく便宜のためにこういう三つの区別を立てて明治の哲学を論ずることにしようと思う。

      三

 それからして、明治の哲学思想、それについで大正の哲学思想、これを通じて二つの大きなちがった系統があると思う。それはもとよりどこの国にもおのずからあるけれども、明治以前にはほとんど無くして、明治以後にはたしかにあざやかにたどってゆける二種の系統があると思う。一つの思想の系統は物質的、経済的、客観的、実際的、しかして功利的というような系統である、ジェームスのいわゆるタフマインデッドの思想である。この方面は社会においていつも優勢で、ずいぶん極端までゆくことを常としたものである。もう一つの側は唯心的、超絶的、主観的、道徳的、宗教的、というような思想の系統である。この側は前者に比すれば深遠となり、微妙となり、幽奥となりゆくが、どうかすると世間とかけはなれて迂遠となり微弱となるような傾向もないではない。これはジェームスのいわゆるテンダーマインデッドの側である。この二つの系統の相互関係如何、その利害得失如何、またその将来の成行き如何というようなことについてはなお本論に至って論ずる心意であるが、とにかく過去約五、六十年の歴史はあきらかにこの二系統の思想の潮流を歴史的事実の上に立証することができるのである。そうであるけれども、この二つの思想の系統の間には種々なる程度の思想のあることを看過するわけにはゆかない。本論文においてそれらの点をことごとく論じつくすことは不可能であるけれども、その大要をあきらかにすることはけっして不可能でないからしてここにこれを論述することを試みるに至った次第である。



底本:「現代日本思想大系 24 哲学思想」筑摩書房
   1965(昭和40)年9月20日初版第1刷発行
   1975(昭和50)年5月30日初版第9刷発行
初出:「岩波講座哲學 明治哲學界の囘顧」岩波書店
   1932(昭和7)年11月
入力:岩澤秀紀
校正:小林繁雄
2008年5月21日作成
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