生存しておったから直接間接種々思想問題にも関係があった次第である。そうしてその間に川合清丸のように神儒仏三教一致の立場から立論する者もあって思想界もそう単純ではなかった。しかしそれから時勢が次第に変ってきたので、研究の仕方、また考究の仕方が変らなければならないので、すべて時とともに面目があらたまってきたのである。しかし明治の初年はそういう有様であったから今日とだいぶ境遇のちがっておったことを考えんければならぬのである。
それからしても一つここに注意すべきことは外国人の関係である。明治十年に東京大学が創設されるに当って哲学の学科も出来、いくばくもなく欧米より専門学者を招聘して哲学の講義を依頼することになったのである。それで、明治十一年八月には米国よりハーバード大学出身のフェノロッサ(Fenollosa)を哲学の教師として招聘いたしたのである。これについで英国よりクーペル(Cooper)を招聘し、ついでまたドイツよりブッセ(Busse)を招聘し、ブッセの後任者としてケーベル(Koeber)を招聘したのであるから、これらはいずれも考慮の中に加えなければならないのである。かかる哲学専門の教師
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