時までは死ぬことに対しては全く平気でいたのが、そこへすわった瞬間に急に死ぬのがいやになった。それはちょうど大河の堤を切り放したように、生命への欲望が一度に汎濫《はんらん》した。と思うと大きな恐ろしいうなり声のようなものが聞こえて目をさました。
二三日前にある友人とガリレーやブルノやデカルトの話をした。そうして、学説と生命とを天秤《てんびん》にかけた三人が三様の解決を論じた。その時に頭を往来した重苦しい雲のようなものの中に何かしらこういう夢を見させるものがあったかもしれない。
ブルノは学問と宗教と生命とを切り離す事ができなかった。デカルトではこれが分化《ディフェレンシエート》されていたように見える。ガリレーはその二人の途中に立って悩んでいたのであろう。
この夢を見た夜は寝しなに続日本紀《しょくにほんぎ》を読んだ。そうして橘奈良麻呂《たちばなのならまろ》らの事件にひどく神経を刺激された、そのせいもいくらかあったかもしれない。臆病者《おくびょうもの》はよくこんな夢を見る。
[#地から3字上げ](昭和五年三月、改造)
底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
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