ふる日、ある婦人がその飼っていた十姉妹《じゅうしまつ》の四羽とも一度に死にかかったのを手のひらへのせて一生懸命|火鉢《ひばち》で暖めていた。見ると、もう全く冷たくなってしまっている。しかし、「たとえだめでもそうしないと気がすまない」のだという。「人間が死んだらお経をあげると同じじゃありませんか」とその人はいう。
 こういう唯心論者もまだ少しはいるのである。

       六

 ある大学講堂の前へ突き当たって右の坂道へおりようとする曲がり角《かど》に、パレットナイフのような形の芝生《しばふ》がある。きちょうめんにちゃんと曲がり角を曲がってあるくのと、その芝生の上を踏みにじって行くのとで、歩く距離にすれば三尺とはちがわない。しかし多くの人がその三尺の距離の歩行を節約すると見えて芝生がそこだけ踏みつぶされてかわいそうにはげている。この事を人に話したら、それは設計が悪いのだという。そんな所へ芝生をこしらえるのが間違っていると言われてなるほどそれもそうかと思った。
 上野《うえの》竹《たけ》の台《だい》の入り口に二つ並んで噴水ができた。その周囲の芝生に立ち入るなと書いた明白な立て札はあるが、事実は子供も大供も中供もやはり芝生に立ち入って水の面をのぞかなければ気が済まないのである。これもたしかに設計が悪いと言われなければならないのがいわゆる時代の推移であろう。二十年前だったら、設計も立て札も当然自明的であって、制札を無視するのが没公徳的で悪いのであった。
 自分の郷里では、今は知らず二十年も以前は、婚礼の三々九度の杯をあげている座敷へ、だれでもかまわず、ドヤドヤと上がり込んで、片手には泥《どろ》だらけの下駄《げた》をぶら下げたままで、立ちはだかって花嫁や花婿の鼻の高低目じりの角度を品評した。それを制すれば門の扉《とびら》の一枚ぐらい毀《こぼ》たれても苦情は言えなかった。これはむしろ一九三〇年を通り越していたとも考えられる。
 今度法令が変わると他人の家へうっかり黙ってはいって来るものにはピストルを向けてぶっ放してもいいことになるという話である。これは芝生《しばふ》の場合とは逆の方向への推移である。もっともアフリカ内地へでも行けば、今でも、うっかり国境へ入り込んで視察でもしていたというだけでもすぐ拘禁され、場合によると命があぶない所もあるかもしれない。
 これらの事実の関係は
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