《さっそく》読みかかってみるとなかなか面白い。丁度自分が知りたいと思っていたような疑問の解釈が到る処に出て来た。そして更に多くの新しい問題を暗示された。
しかし私が今ここに書こうと思ったのはこの書物の紹介ではない。ただこれを読んでいる間に出会った一つの妙な言葉と、それについてちょっと感じた事だけである。
この書物の第十五章は盲と芸術との交渉を述べたものであるが、その中に、盲で同時に聾のヘレン・ケラーという有名な女の自叙伝中に現れた視覚的美の記述がどういう意味のものかという事を論じた一節がある。その珍しい自叙伝中から二、三小節を引用してあるのを見ると、例えば雪の降る光景などがあたかも見るように空間的に描かれている。あるいは秋の自然界の美しい色彩が盲人が書いたとは思われないように実感的に述べてある。しかし著者はこのような光景は固《もと》より盲者にとっては何らの体験にも相応しないバーバリズムに過ぎないという事を論じ、それから推論して、ケラーが彫刻を撫《な》で廻せばその作者の情緒がよく分るといった言葉の真実性を疑っている。
私はこれを読んだ時に何だか物足りないような気がした。ケラーの主張
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