く颱風の全勢力を供給する大源泉と思われる北太平洋並びにアジア大陸の大気活動中心における気流大循環系統のかなり明確な知識と、その主要循環系の周囲に随伴する多数の副低気圧が相互に及ぼす勢力交換作用の知識との中に求むべきもののように思われる。それらの知識を確実に把握するためには支那、満洲、シベリアは勿論のこと、北太平洋全面からオホツク海にわたる海面にかけて広く多数に分布された観測点における海面から高層までの気象観測を系統的定時的に少なくも数十年継続することが望ましいのであるが、これは現時においては到底期待し難い大事業である。たださし当っての方法としては南洋、支那、満洲における観測並びに通信機関の充実を計って、それによって得られる材料を基礎として応急的の研究を進める外はないであろう。
自分の少しばかり調べてみた結果では、昨年の颱風の場合には、同時に満洲の方から現われた二つの副低気圧と南方から進んで来た主要颱風との相互作用がこの颱風の勢力増大に参与したように見えるのであるが、不幸にして満洲方面の観測点が僅少であるためにそれらの関係を明らかにすることが出来ないのは遺憾である。
ともかくもこのような事情であるから颱風の災害防止の基礎となるべき颱風の本性に関する研究はなかなか生やさしいことではないのである。目前の災禍に驚いて急いで研究機関を設置しただけでは遂げられると保証の出来ない仕事である。ただ冷静で気永く粘り強い学者のために将来役に立つような資料を永続的系統的に供給することの出来るような、しかも政治界や経済界の動乱とは無関係に観測研究を永続させ得るような機関を設置することが大切であろう。
颱風が日本の国土に及ぼす影響は単に物質的なものばかりではないであろう。日本の国の歴史に、また日本国民の国民性にこの特異な自然現象が及ぼした効果は普通に考えられているよりも深刻なものがありはしないかと思われる。
弘安四年に日本に襲来した蒙古《もうこ》の軍船が折からの颱風のために覆没《ふくぼつ》してそのために国難を免れたのはあまりに有名な話である。日本武尊《やまとたけるのみこと》東征の途中の遭難とか、義経《よしつね》の大物浦《だいもつのうら》の物語とかは果して颱風であったかどうか分らないから別として、日本書紀時代における遣唐使がしばしば颱風のために苦しめられたのは事実であるらしい。斉明天
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