である。誠に喜ぶべきことである。
このような颱風が昭和九年に至って突然に日本に出現したかというとそうではないようである。昔は気象観測というものがなかったから遺憾ながら数量的の比較は出来ないが、しかし古来の記録に残った暴風で今度のに匹敵するものを求めれば、おそらくいくつでも見付かりそうな気がするのである。古い一例を挙げれば清和天皇の御代|貞観《じょうがん》十六年八月二十四日に京師《けいし》を襲った大風雨では「樹木有名皆吹倒《じゅもくなあるはみなふきたおれ》、内外官舎、人民|居廬《きょろ》、罕有全者《まったきものあることまれなり》、京邑《けいゆう》衆水、暴長七八尺、水流迅激、直衝城下《ただちにじょうかをつき》、大小橋梁、無有孑遺《げついあることなし》、云々」とあって水害もひどかったが風も相当強かったらしい。この災害のあとで、「班幣畿内諸神《きないのしょしんにはんぺいして》、祈止風雨《ふううをとどめんことをいのる》」あるいは「向柏原山陵《かしわばらさんりょうにむかい》、申謝風水之※[#「宀/火」、第4水準2−79−59]《ふうすいのわざわいをしんしゃせしむ》」といったようなその時代としては適当な防止策が行われ、また最も甚だしく風水害を被《こうむ》った三千百五十九家のために「開倉廩賑給之《そうりんをひらきてこれにしんごうす》」という応急善後策も施されている。比較的新しい方の例で自分の体験の記憶に残っているのは明治三十二年八月二十八日高知市を襲ったもので、学校、病院、劇場が多数倒壊し、市の東端|吸江《きゅうこう》に架した長橋|青柳橋《あおやぎばし》が風の力で横倒しになり、旧城天守閣の頂上の片方の鯱《しゃちほこ》が吹き飛んでしまった。この新旧二つの例はいずれも颱風として今度のいわゆる室戸颱風に比べてそれほどひどくひけをとるものとは思われないようである。明治から貞観まで約千年の間にこの程度の颱風がおよそ何回くらい日本の中央部近くを襲ったかと思って考えてみると、仮りに五十年に一回として二十回、二十年に一回として五十回となる勘定である。
風の強さの程度は不明であるが海嘯《かいしょう》を伴った暴風として記録に残っているものでは、貞観よりも古い天武天皇時代から宝暦四年までに十余例が挙げられている。
千年の間に二十回とか三十回といえばやはり稀有《けう》という形容詞を使っても不穏当とは
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