ある民家でぼろぼろに腐朽しているらしく見えていながら存外無事なのがある。そういう家は大抵周囲に植木が植込んであって、それが有力な障壁の役をしたものらしい。これに反して新道沿いに新しく出来た当世風の二階家などで大損害を受けているらしいのがいくつも見られた。松本附近である神社の周囲を取りかこんでいるはずの樹木の南側だけが欠けている。そうして多分そのためであろう、神殿の屋根がだいぶ風にいたんでいるように見受けられた。南側の樹木が今度の風で倒れたのではなくて以前に何かの理由で取払われたものらしく見受けられた。
 諏訪湖畔《すわこはん》でも山麓に並んだ昔からの村落らしい部分は全く無難のように見えるのに、水辺に近い近代的造営物にはずいぶんひどく損じているのがあった。
 可笑《おか》しいことには、古来の屋根の一型式に従ってこけら葺《ぶき》の上に石ころを並べたのは案外平気でいるそのすぐ隣に、当世風のトタン葺や、油布張《ゆふばり》の屋根がべろべろに剥《は》がれて醜骸《しゅうがい》を曝《さら》しているのであった。
 甲州路へかけても到る処の古い村落はほとんど無難であるのに、停車場の出来たために発達した新集落には相当な被害が見られた。古い村落は永い間の自然淘汰によって、颱風の害の最小なような地の利のある地域に定着しているのに、新集落は、そうした非常時に対する考慮を抜きにして発達したものだとすれば、これはむしろ当然すぎるほど当然なことであると云わなければならない。
 昔は「地を相《そう》する」という術があったが明治大正の間にこの術が見失われてしまったようである。颱風もなければ烈震もない西欧の文明を継承することによって、同時に颱風も地震も消失するかのような錯覚に捕われたのではないかと思われるくらいに綺麗に颱風と地震に対する「相地術」を忘れてしまったのである。
 ドイツの町を歩いていたとき、空洞煉瓦一枚張りの壁で囲まれた大きな家が建てられているのを見て、こんな家が日本にあったらどうだろうと云って友人等と話したことがあった。ナウエンの無線電信塔の鉄骨構造の下端がガラスのボール・ソケット・ジョイントになっているのを見たときにも胆を冷やしたことであった。しかし日本では濃尾《のうび》震災の刺戟によって設立された震災予防調査会における諸学者の熱心な研究によって、日本に相当した耐震建築法が設定され、それが
前へ 次へ
全10ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング