しない。少なくも虞美人草はこのへんの民家の庭にあまり見受けなかった。そしてこの土地に珍しくない日々草《にちにちそう》などがかえってたんねんに抜き去られた。また一方珍しくないコスモスは取られないほうに属していた。
 あるいはこの三つの植物の繁殖力の旺盛《おうせい》な事に関する侵入者の知識がこの現象の原因になるかと思ってみたが、それもあまりに付会に過ぎた説明としか思われない。
 いろいろの花がいろいろの蝶《ちょう》や虫を引きつける能力についてはまだおそらく人間の知らない不思議な理由があるだろうと思うが、同様にいろいろの草花が子供の略奪趣味を刺激する効果の差別についてもまだ簡単な説明を許さない秘密な方則が伏在しているのではないかと思う。
 昆虫《こんちゅう》の研究者が蝶や蟻《あり》でも研究するように、この小略奪者たちの習性を研究する目的でいろいろの実験をしてみればきっとおもしろくまた有益だろうと思うが、自分にそれほどの暇も熱心もない。ただもう一二年たって、われわれ「東京者」に対する子供らの好奇心と反感のずっと減少した時分にもう一ぺん「花園の夢」を見るのもいいかと考えている。

     五 草刈り

 屋敷内に草一本ないという自覚を享楽するために、わざわざ人を雇ってまでも裏庭のすみずみまできれいに草を取ってしまう人がある。こういう人の心持ちが少なくも子供の時分にはわからなかった。なぜ草がはえていてはいけないかどうしても了解できなかった。およそ地からはえ出る植物に美しくないと思うものは一つもなかった。せっかくはえたものをむざむざむしり取るのが惜しいと思われた。旧城趾《きゅうじょうし》やその他の荒れ地に勢いよく茂った雑草は見るから気持ちがよかった。そういう所にねころんで鳥の歌、蜂《はち》のうなりを聞くのは愉快であった。油絵の風景画などでも、破れた木柵《もくさく》、果樹などの前景に雑草の乱れたような題材は今でもいちばんに心を引かれる。
 東京に家を持ってからの事である。ある日巡査がやって来て、表の塀《へい》の下にひどく草がはえているから抜くようにと注意して行った。見るとなるほど、黒い朽ちかかった板塀の根にいろいろの草が青々と茂って、中には小さな花をさかせているものもあって、別にきたならしくもなんともなかった。おそらく板塀よりもその前のどぶよりもこの草がいちばん美しいものとしか思われなかったが警察官のいう事であるからそのとおりにむしり取ってしまった。
 人並みに草花などの種を自分でまいてみると、はじめて雑草の不都合な事が少しわかって来るような気がした。打っちゃっておくと、せっかく生長させようと思う草花がすっかり負かされてしまうので、こうなると気の毒でも雑草のほうはむしるよりほかはない事になる。雑草という言葉の意味が始めてわかって来る。
 郊外に家をこしらえた。春さきから一面にいろいろの草がはえ出る。中には花が咲きそろうとかなり美しいのもある。しかしまた途方もなく延びてしまって歩く事の邪魔になるのもある。かまわず打っちゃっておくとおしまいには家の内までも侵入しそうな勢いを示して来る。こうなるとさすがに雑草の脅威といったようなものを感じて、とうとう草刈りをはじめる決心をした。
 草刈り鎌《がま》にいろいろの種類のある事を知ったのはその時である。鎌の使い方、鎌のとぎ方も百姓に伝授を受けていよいよ取りかかった。
 刈り始めてみるとなかなか骨が折れる。よっぽど刈ったつもりでも、立ち上がって見ると手のひらぐらいしか進行していないのにがっかりした。しかしやっているうちにだんだん草を刈っている事自身の興味がわかって来て、刈ってしまう結果をあせる気がなくなって来るのを感じた。
 よく切れる鎌で薙《な》いで行くのは爽快《そうかい》なものである。また草の根をぶりぶりかき切るのも痛快なものである。かゆい所をかくような気がする。
 いろいろの草の根の張り方にそれぞれ相違のある事にも気がつく。それらの目的論的の意義を考えてみるのもなかなかおもしろい。同じ面積を、時季によってちがった雑草が交代して占有する順序もおもしろく、年によって最もよく繁殖する草の種類を異にする事や、それが人間の干渉によって影響される模様や、少し立ち入って研究したら一種の「雑草学」が成り立ちそうである。それを書くときりがなくなるからここには略する。ただ一つ頭に刻まれた問題だけを簡単に書き止めておく。
 雑草の内にはわれわれの栽培している五穀や野菜や観賞植物とよく似通ったものがはなはだ多い。もしこれらの雑草を特にかわいがって培養し教育して行ったら、何代かの後にはかえって現在の有用植物よりももっと有用なものができうる可能性はないものだろうか。
 長い間人間の目の敵《かたき》にされて虐待されながら頑強《がんきょう》な抵抗力で生存を続けて来た猫草《ねこぐさ》相撲取草《すもうとりぐさ》などを急に温室内の沃土《よくど》に移してあらゆる有効な肥料を施したらその結果はどうなるであろう。事によると肥料に食傷して衰滅するかもしれない。貧乏のうちは硬骨なのが金持ちになって急に軟化するようにともかくも軟化しそうである。そのかわりそれらの草の実がだんだん発育進化して米や麦よりもいいか、あるいは少なくも同等な穀物になりはしないか。
 もし培養のしかたによって、頑強《がんきょう》な抵抗力は保存し、しかも実の充実を遂げる事ができればなおさら都合がいい。そういう事は望まれない事であろうか。
 だれか、だまされる気でこの実験に取りかかってみる人はないものであろうか。

     六 藁が真綿になる話

 藁《わら》にある薬品を加えて煮るだけでこれを真綿に変ずる方法を発明したと称して、若干の資本家たちに金を出させた人がある。ところがそれが詐偽だという事になって検挙され、警視庁のお役人たちの前で「実験」をやって見せる事になった。半日とか煮てパルプのようなものができた。翌朝になったら真綿になるはずのがとうとうならなくて詐偽だと決定した。こんな話が新聞に出ていたそうである。新聞記事の事だから事がらの真相はよくわからない。ただこれに似た事があったらしい。
 こういう現象は古今東西を問わずよくある事である。何かしらうまい神秘的な金もうけはないかと思って捜している資本家の前に、その要求に応じて出現するものである。悪魔でも呼び出さない人の前にはそう無作法には現われない。
 欺くほうもあまりよくはないが、欺かれるほうもこの現象の第一原因としての責任はある。もし現代の科学を一通り心得た大岡越前守《おおおかえちぜんのかみ》がこの事件を裁《さば》くとしたら、だまされたほうも譴責《けんせき》ぐらいは受けそうな気がする。
 しかしそんな事は自分の問題ではない。ただちょっと考えてみたくなる事が一つある。
 警視庁で実験をやり始め、やりつつある間のその人の頭の中にどんな考えが動いていたかという事である。たとえそれまではパルプと真綿をすりかえる手品をやっていたに相違なくとも、その時には、やっているうちに、もしかするとほんとうにパルプが真綿に変わるかもしれないという不可思議な心持ちを、みずからつとめて鼓舞しつつ、ビーカーの中をかき回していたのではないかという疑いである。
 やっているうちに立ち会い役人の目を盗んですりかえようと思ったのだというのは最も常識的な解釈で、それを否定する事はむつかしい。しかしただそれだけであったかどうかが問題である。
 うそもしょっちゅうついているとおしまいには自分でもそれを「信じる」ようになるというのは、よく知られた現象である。いろいろな「奇蹟《きせき》」たとえば千里眼透視術などをやる人でも、影にかくれた助手の存在を忘れて、ほんとうに自分が奇蹟を行なっているような気のする瞬間があリ、それが高じると、自分ひとりでもそれができるような気になる瞬間もありうるものらしい。幾年もつづけてジグスとマギーをかいている画家は、おしまいには生きたジグスとマギーの存在を信じて疑わなくなるだろうが、それと似た頭の迷いが起こりはしないか。
 ビーカーのパルプが真綿に変わるまでの途中の肝心の経路も考え方によっては、ほんのちょっとした事のように思われるかもしれない。そのちょっとのところに目をふさいで見れば、確かに藁《わら》が真綿になるに相違ないのである。山の芋が鰻《うなぎ》になったりする「事実」も同様である。だんだんにこの「事実」に慣れて来ると、おしまいには、そのいわゆる「ちょっとした」経路を省略しても同じ事になりそうな気がするものではあるまいか。頭の冷静な場合にはそんな事はないとしても、切迫した事態のもとに頭が少し不透明になった場合には存外ありそうな事だと思う。
 この事件は見方によっては頭のよくない茶目のいたずらとも見られる。しかしまた犯罪心理学者の研究資料にもなれば、科学的認識論の先生が因果律の講釈をする時の材料にもなりうる。
 因果をつなぐかぎの輪はただ一つ欠けても縁が切れる。この明白な事をわれわれはつい忘れたりごまかしたりする事がある。われわれの過失の多くはここから来る。鉄道や飛行機の故障などもこういう種類に属するのが多い。綱紀紊乱《こうきびんらん》風俗廃頽《ふうぞくはいたい》などという現象も多くはこれに似た事に帰因する。うっかりこの下手《へた》な手品師を笑われない。
[#地から3字上げ](大正十四年十一月、中央公論)



底本:「寺田寅彦随筆集 第二巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
   1947(昭和22)年9月10日第1刷発行
   1964(昭和39)年1月16日第22刷改版発行
   1997(平成9)年5月6日第70刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年6月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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