分に立って何かしら警句でも吐いてお客さんたちをあっと言わせたりくすぐって笑わせたりするのはかなりな享楽であろうと想像する事ができる。それにはいわゆるデザートコースにはいってからがきわめて適当な時機であろうという事も了解される。つまり一種の生理的の要求を満足させるための、ごちそうの献立の一つだと思えばいいのだろうと思う。ただ一つ問題になるのは、料理のほうだといやなものは食わないで済むのに、この演説だけは無理じいにしいられるという事である。
 もう一つ問題になるのは、卓上演説があまりはやると、ついつい卓上気分を卓上以外に拡張するような習慣を助長して、卓上思想や卓上芸術の流行を見るようになりはしないかという事である。識者の一考を望みたい。

     三 ラディオフォビア

 初めてラディオを聞いたのは上野のS軒であったと思う。四五人で食事をしたあと、客室でのんきにおもしろく話をしていると、突然頭の上でギアーギアーギアーギアーと四つ続けて妙な声がした。ちょうど鶏の咽喉《のど》でもしめられているかというような不愉快な声がした。それから同じ声で何かしら続けて物を言っているようであったが、何を言っているか自分にはわからないので同行者に聞いてみると「JOAK、こちらは東京放送局であります」と言ったのだそうである。それから長唄《ながうた》か何からしいものが始まって、ガーガーいう歌の声とビンビン響く三味線の音で、すっかりわれわれの談話は擾乱《じょうらん》されてしまった。
 それから後も時々いろいろな場所でこのJOAKに襲われた。慣れて来ると、なるほどJOAKと聞こえる。ジェーエ、オーオ、エーエ、ケーエイッと妙に押しつけて、そして無理に西洋人らしくこしらえた声でどなるのがどういうものかあまりいい心持ちがしない。この四つのアルファベットの組み合わせ自身に何かしら不快な暗示を含んでいるのか、それともいちばん初めに聞かされた音の不快な印象が、この音を聞くたびに新しく呼び返されるのかもしれない。
 オーケストラも聞いたが、楽器の音色というものが少しも現わされない、木管でも金属管でも弦でもみんな一様な蛙《かえる》の声のようなものになって、騒々しくて聞いていられない。
 このほうの玄人《くろうと》に聞いてみると、飲食店や店頭にある拡声器が不完全なためにそういう事になるので、よく調節された器械で鉱石検波器を使ってそして耳にあてる受話器を使えばそんなことはないそうである。しかし頭へ金属の鉢巻《はちまき》をしてまでも聞きたいと思うものはめったにないようである。
 夏休みのある日M君と二人で下高井戸《しもたかいど》のY園という所へ行って半日をはなはだしくのんきに遊んで夕飯を食った。ちょうど他には一人も客がなくて無月の暗夜はこの上もなく閑寂であった。飯がすんでそろそろ帰ろうかと思っていると、突然階下でJOAKが始まった。こんな郊外までJOAKが追い駆けて来ようとは思わなかったのであった。その晩はちょうどトリオでチャイコフスキーの秋の歌などもあった。周囲が静かであるためか、それとも器械がいいのか、こちらの頭がどうかしていたのか、そのトリオだけはちょっとおもしろく聞かれたので、階段の上に腰かけておしまいまで聞いた。このぶんならラディオもそれほど恐ろしいものではないと思った。
 その後ある休日の午後、第Xシンフォニーの放送があったとき、銀座のある喫茶店《きっさてん》へはいってみた。やはりだめであった。すべての楽器はただ一色の雑音の塊《かたまり》になって、表を走る電車の響きと対抗しているばかりである。でも曲の体裁を知るためと思って我慢して聞いていると、店員が何かぐあいでも直すためか、プラグを勝手に抜いたりまたさしたりするのでせっかくのシンフォニーは無残にもぶつ切れになってしまった。
 こんな行きがかりで自然ラディオというものに対する一種の恐れをいだくようになってみると、あの家々の屋上に引き散らしたアンテナに対しても同情しにくい心持ちになる。しかしそういう偏見なしにでもおそらくあれはあまり美しいものではない。物干しざおのようなものにひょろひょろ曲がった針金を張り渡したのは妙に「物ほしそう」な感じのするものだと思う。あんなことをしないでもすむ方法はあるそうである。
 ラディオをいじくっているうちに自分で放送がしたくなって来て、とうとういたずらの放送をはじめ、見つかってしかられた人がある。しかしこういう人はたのもしいところがある。
 現象の本性に関する充分な知識なしに、ただ電気のテクニックの上皮だけをひとわたり承知しただけで、すっかりラディオ通になってしまったいわゆるファンが、電波伝播《でんぱでんぱ》の現象を少しも不思議と思ってみる事もなしに、万事をのみこんだ顔をしているのがおかし
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