い》」の「あつ風呂《ぶろ》」が出現した感がある。また同じ「夕飯」がまだまだ根を引いて「木曾《きそ》の酢茎《すぐき》」に再現しているかの疑いがある。また後に自分の「田の青やぎていさぎよき」の心像が膠着してそれが六句目の自句「しょろしょろ水に藺《い》のそよぐらん」に頭をもたげている。しかしこれは決して凡兆という人の特異の天分を無視してこの人をこれだけの点から非難する意では毛頭ないのである。この人の句がうまく適度に混入しているために一巻に特殊な色彩の律動を示していることは疑いもないことであるが、ただもし凡兆型の人物ばかりが四人集まって連句を作ったとしたらその成績はどんなものであるかと想像してみれば、おのずから前述の所論を支持することになるであろうと思われるのである。
以上は単に便宜上主として『灰汁桶』だけについて例証したのであるが、読者にしてもし同様の見地に立って他の巻々を点検するだけの労を惜しまれないならば、私のここに述べた未熟な所論の中に多少の真の片影のあることを認めてもらえるであろうと信ずる。
連句制作における興味ある心理的現象は以上にとどまらない。次にはさらに別の方面について所見
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