であろうということである。おもしろいというだけではなくて世界にまだ類例のない新しい芸術ができるであろうということである。この理想への一つの試験的の作業としては、たとえば三吟の場合であれば、その中の一人なりまた中立の他の一人なりが試験的の監督となりリーダーとなってその人が単に各句の季題や雑《ぞう》の塩梅《あんばい》を指定するのみならず、次の秋なら秋、恋なら恋の句をだれにやらせるかまでをも指定し、その上にもちろんできた句の採否もその人に一任するとして進行したらどうであろうか。これははなはだむつかしい試みには相違ない。そうしてその指揮者の頭がよほど幅員が大きく包容力が豊かでなければ、結局|狭隘《きょうあい》な独吟的になるか、さもなくばメンバーのほうでつまらなくておしまいまでやり切れないであろうと思われる。しかしともかくもこういう試みは未来の連句のためにわれわれの努力し刻苦して研究的に遂行してみる価値のある試みである。たとえ現在の微力なわれわれの試みは当然失敗に終わることが明らかであるまでも、われわれはみじめな醜骸《しゅうがい》をさらして塹壕《ざんごう》の埋め草になるに過ぎないまでも、これによ
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