れが一つのまとまった全体を形成しておりながらその作者は必ずしも一人の人間でなくてむしろ一般には数人の一団より成る「集合人」であるということである。近ごろの言葉で言えば一種の共同制作によってできあがるものだということである。
漢詩でもたまには数人の合作になるものはあるようである。近ごろはひとつづきの小説を数人の作者が書き続けて行くのもあるようである。これらの場合その作者たちにとっては、行く先がどういうふうに成り行くものか見当がつかないで、そうしていろいろと思いもかけない方向に発展して行くという好奇的な享楽は多分にあるかもしれないが、できあがった結果をその制作過程を知らない読者のほうから見た場合にはたいていはなはだあっけのないものになってしまっているのが多いようである。できあがったものは形式上普通の詩や小説と全く同じであるから読むほうではそういうつもりで読み、またそういうものとしての論理や性格やの統一を要求しているのに、内容にはどうしてもどこかに分裂があり齟齬《そご》があるのを免れ難いからである。連句の場合ではこれと反対に読者のほうで初めから普通の詩や小説のように話の筋や論理的の連結を期
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