のに対する極端な潔癖は、人に対し自分に対する無心な純な感情の流露を妨げた。そうしてまたそのような感情の拘束の自覚が最もきびしく彼を苦しめ悩ましていたように見える。しかし人一倍美しいやさしい感情を持っていなかったのであったら、このような煩悶《はんもん》はおそらく有り得なかったのではあるまいか。罪は頭のいい事にあった。もう少し頭が悪かったら、亮《りょう》はどんなに気らくであったろう。
こういう不安と煩悶《はんもん》をいだきつつ、学校へ出ては発酵化学の実験をやり、バクテリヤの培養などをやっていた。そして夜は弟と二人で、よく寄席《よせ》や芝居や活動を見に行って、やるせない心のさびしさを紛らせようとしていたらしい。胃の痛むのによく蕎麦《そば》や汁粉《しるこ》を食ったりしては、さらに自分に対する不満を増していたように見える。
「本日は弟と歌舞伎座《かぶきざ》に行く事になっていた。――父の病気に対する『愛なき恐れ』、金に対する不安、母の辛苦、不孝のために失われたる親子の愛情、学業に対する不忠実、このようなものが入り乱れている頭には、この大芝居の忠臣蔵もおもしろいはずはない。しかし芝居のようなざわざ
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