を持ち、楽隊の先導で甲板を一周した後に食卓についた。おとならはむしろうらやましそうに見物していた。……T氏と艙《ふなぐら》へはいって、カバンを出してもらって、ハース氏に贈るべき品物を選み出したりした。
五月一日
午後にはもうイタリアの山が見えた。いよいよヨーロッパへ来たのかと思った。夕食時にはメッシナ海峡の入り口へかかった。左にエトナが見える。富士山によく似ているという人もあったが、自分の感じはまるでちがっていた。右舷《うげん》の山には樹木は少ないが、灰白色の山骨は美しい浅緑の草だか灌木《かんぼく》だかでおおわれている。海浜にはまっ白な小さい家がまばらに散らばっている。だれかの漁村の詩にこんな景色があったような気がした。もう「東洋」と「熱帯」の姿はどこにもなかった。まもなく右にレッジオ、左にメッシナの町の薄暮の燈火を見て過ぎる。メッシナは大地震のために破壊されて灯《ひ》の数は昔の比較にならないとハース氏が話した。
九時ごろから喫煙室でN君ハース氏らと袂別《けつべつ》の心持ちでシャンペンの杯をあげた。……十時過ぎにストロンボリの火山島が見えた。十五夜あたりの月が明るくて火口の光はただ
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