まい」といって皮肉に笑ったそうである。なるほど弓削道鏡《ゆげのどうきょう》が自分の同郷出身だといって自慢する人はあまりないかもしれないが、しかし石川五右衛門の同郷者だといってシニカルな自慢を振り廻す人はあるかもしれない。
それはとにかく、暑い国の夏の夕凪は、その肉体的効果から見ればたしかに、ベート・ノアルであるが、しかしそれが季節的自然現象であるだけにかなりに多彩な詩的題材を豊富に包蔵していることも事実である。
夕凪は夏の日の正常な天気のときにのみ典型的に現われる。午後の海軟風《かいなんぷう》(土佐ではマゼという)が衰えてやがて無風状態になると、気温は実際下がり始めていても人の感じる暑さは次第に増して来る。空気がゼラチンか何かのように凝固したという気がする。その凝固した空気の中から絞り出されるように油蝉の声が降りそそぐ。そのくせ世間が一体に妙にしんとして静かに眠っているようにも思われる。じっとしていると気がちがいそうな鬱陶《うっとう》しさである。この圧迫するような感じを救うためには猿股《さるまた》一つになって井戸水を汲み上げて庭樹などにいっぱいに打水をするといい。葉末から滴《したた
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