しまう。日本には昔からずいぶんいろいろな危険思想が海外から幾度となく輸入されたが、それが抑圧に抗しながらやっと土着するころにはいつのまにかすっかり消化され日本化されてしまって結局はみんな大日本を肥やす肥料になっていた。
しかし科学的物質的の侵略の波は決して夢のようなものではない。これにはやはり科学的物質的の対策を要する。将来の外交はもはやジュネヴで演説をしたり、たんかを切ってうれしがるだけではすまなくなるであろう。北氷洋に中央アジアに、また太平洋に成層圏に科学的触手を延ばして一方では世界人類の福利のために貢献すると同時に、他方ではまた他の科学国と対等の力をもって科学的な競技場上に相《あい》角逐《かくちく》しなければおそらく一国の存在を確保することは不可能になるであろうと思われる。まさにこの意味においても日本が今「非常時」に際会していることを政府も国民も考えてもらいたいものである。
北氷洋の氷の割れる音は近づく運命の秋を警告する桐《きり》の一葉の軒を打つ音のようにも思われるのである。
[#地から3字上げ](昭和八年一月、鉄塔)
底本:「寺田寅彦随筆集 第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日第1刷発行
1963(昭和38)年5月16日第20刷改版発行
1997(平成9)年6月13日第65刷発行
入力:(株)モモ
校正:かとうかおり
2003年5月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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