は多くの同種類の云い伝えと同様に、時と場所との限られた範囲内での経験的資料とある形而上的の思想との結合から生れたものに過ぎないだろう。例えば二百十日に颱風《たいふう》を聯想させたようなものかもしれない。もっとも二百十日や八朔《はっさく》の前後にわたる季節に、南洋方面から来る颱風がいったん北西に向って後に抛物線《ほうぶつせん》形の線路を取って日本を通過する機会の比較的多いのは科学的の事実である。そういう季節の目標として見れば二百十日も意味のない事はない、しかし厄年の方は果してそれだけの意味さえあるものだろうか。
科学的知識の進歩した結果として、科学的根拠の明らかでない云い伝えは大概他の宗教的迷信と同格に取扱われて、少なくも本当の意味での知識的階級の人からは斥《しりぞ》けられてしまった。もちろん今でも未開時代そのままの模範的な迷信が到るところに行われて、それが俗にいわゆる知識階級のある一部まで蔓延《まんえん》している事は事実であるが、それとは少し趣を異にした事柄で、科学的に験証され得る可能性を具えた命題までが、一からげにして掃き捨てられたという恐れはないものだろうか。そのようにして塵塚に
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