った事を注意されて、いまに禿《は》げるだろうと、予言された事があるが、どうしたのかまだ禿頭《とくとう》と名の付くほどには進行しない。禿頭は父親から男の子に遺伝する性質だという説があるが、それがもし本当だとすると、私の父は七十七歳まで完全に蔽《おお》われた顱頂《ろちょう》を有《も》っていたから、私も当分は禿げる見込が少ないかもしれない。しかしその代りにいつの間にか白髪が生えていた。
それから後に気を付けて見ると同年輩の友人の中の誰彼の額やこめかみにも、三尺以上|距《はな》れていてもよく見えるほどの白髪を発見した。まだ自分等よりはずっと若い人で自分より多くの白髪の所有者もあった。ある時たまたま逢った同窓と対話していた時に、その人の背後の窓から来る強い光線が頭髪に映っているのを注意して見ると、漆黒な色の上に浮ぶ紫色の表面色が或るアニリン染料を思い出させたりした。
またある日私の先輩の一人が老眼鏡をかけた見馴れぬ顔に出会《でくわ》した。そして試みにその眼鏡を借りて掛けて見ると、眼界が急に明るくなるようで何となく爽やかな心持がした。しばらくかけていて外すと、眼の前に蜘蛛《くも》の糸でもあるよ
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