に鈍い灰色を帯びている。
絵巻物の最後にある絵はよほど奇妙なものである。そこには一つの大きな硝子《ガラス》の蠅取罎《はえとりびん》がある。その中に閉込められた多数の蠅を点検して行くとその中に交じって小さな人間が居る。それがこの私である。罎から逃れ出る穴を上の方にのみ求めて幾度か眼玉ばかりの頭を硝子の壁に打ち当てているらしい。まだ幸いに器底の酢の中に溺れてはいない。自由な空へ出るのには一度罎の底をくぐらなければならないという事が蠅にも小さな私にも分らないと見える。もっとも罎を逃れたとしたところで、外界には色々な蠅打ちや蠅取蜘蛛《はえとりぐも》が窺《うかが》っている。それを逃れたとしても必然に襲うて来る春寒《はるさむ》の脅威は避け難いだろう。そうすると罎を出るのも考えものかもしれない。
過去の旅嚢《りょのう》から取り出される品物にはほとんど限りがない。これだけの品数を一度に容《い》れ得る「鍋」を自分は持っているだろうか。鍋はあるとした上でも、これだけのものを沸騰させ煮つめるだけの「燃料」を自分は貯えてあるだろうか。
この点に考え及ぶと私は少し心細くなる。
厄年の関を過ぎた私は立止
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