った事を注意されて、いまに禿《は》げるだろうと、予言された事があるが、どうしたのかまだ禿頭《とくとう》と名の付くほどには進行しない。禿頭は父親から男の子に遺伝する性質だという説があるが、それがもし本当だとすると、私の父は七十七歳まで完全に蔽《おお》われた顱頂《ろちょう》を有《も》っていたから、私も当分は禿げる見込が少ないかもしれない。しかしその代りにいつの間にか白髪が生えていた。
 それから後に気を付けて見ると同年輩の友人の中の誰彼の額やこめかみにも、三尺以上|距《はな》れていてもよく見えるほどの白髪を発見した。まだ自分等よりはずっと若い人で自分より多くの白髪の所有者もあった。ある時たまたま逢った同窓と対話していた時に、その人の背後の窓から来る強い光線が頭髪に映っているのを注意して見ると、漆黒な色の上に浮ぶ紫色の表面色が或るアニリン染料を思い出させたりした。
 またある日私の先輩の一人が老眼鏡をかけた見馴れぬ顔に出会《でくわ》した。そして試みにその眼鏡を借りて掛けて見ると、眼界が急に明るくなるようで何となく爽やかな心持がした。しばらくかけていて外すと、眼の前に蜘蛛《くも》の糸でもあるような気がして、思わず眼の上を指先でこすってみた。それから気が付いて考えてみると、近頃少し細かい字を見る時には、不知不識《しらずしらず》眼を細くするような習慣が生じているのであった。
 去年の夏子供が縁日で松虫を買って来た。そして縁側の軒端《のきば》に吊しておいた。宵のうちには鈴を振るような音がよく聞こえたが、しかしどうかするとその音がまるで反対の方向から聞こえるように思われた。不思議だと思って懐中時計の音で左右の耳の聴力を試験してみると、左の耳が振動数の多い音波に対して著しく鈍感になっている事が分った。のみならず雨戸をしめて後に寝床へはいるとチンチロリンの声が聞こえなかった。すぐ横にねている子供にはよく聞こえているのに。
 私の方では年齢の事などは構わないでいても、年齢の方では私を構わないでおかないのだろう。ともかくも白髪と視力聴力の衰兆とこれだけの実証はどうする事も出来ない。これだけの通行券を握って私は初老の関所を通過した。そしてすぐ眼の前にある厄年の坂を越えなければならなかった。
 厄年というものはいつの世から称え出した事か私は知らない。どういう根拠に依ったものかも分らない。たぶん
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