田舎の古い家の台所の板間で、袖無を着て寒竹《かんちく》の子《こ》の皮をむいているかと思うと、その次には遠い西国のある学校の前の菓子屋の二階で、同郷の学友と人生を論じている。下谷《したや》のある町の金貸しの婆さんの二階に間借りして、うら若い妻と七輪《しちりん》で飯を焚《た》いて暮している光景のすぐあとには、幼い児と並んで生々しい土饅頭《どまんじゅう》の前にぬかずく淋しい後姿を見出す。ティアガルテンの冬木立や、オペラの春の夜の人の群や、あるいは地球の北の果の淋しい港の埠頭《ふとう》や、そうした背景の前に立つ佗《わび》しげな旅客の絵姿に自分のある日の片影を見出す。このような切れ切れの絵と絵をつなぐ詞書《ことばが》きがなかったら、これがただ一人の自分の事だとは自分自身にさえ分らないかもしれない。
巻物の中にはところどころに真黒な墨で塗りつぶしたところがある。しかしそこにあるべきはずの絵は、実際絵に描いてあるよりも幾倍も明瞭に墨の下に透いて見える。
不思議な事には巻物の初めの方に朽ち残った絵の色彩は眼のさめるほど美しく保存されているのに、後の方になるほど絵の具の色は溷濁《こんだく》して、次第に鈍い灰色を帯びている。
絵巻物の最後にある絵はよほど奇妙なものである。そこには一つの大きな硝子《ガラス》の蠅取罎《はえとりびん》がある。その中に閉込められた多数の蠅を点検して行くとその中に交じって小さな人間が居る。それがこの私である。罎から逃れ出る穴を上の方にのみ求めて幾度か眼玉ばかりの頭を硝子の壁に打ち当てているらしい。まだ幸いに器底の酢の中に溺れてはいない。自由な空へ出るのには一度罎の底をくぐらなければならないという事が蠅にも小さな私にも分らないと見える。もっとも罎を逃れたとしたところで、外界には色々な蠅打ちや蠅取蜘蛛《はえとりぐも》が窺《うかが》っている。それを逃れたとしても必然に襲うて来る春寒《はるさむ》の脅威は避け難いだろう。そうすると罎を出るのも考えものかもしれない。
過去の旅嚢《りょのう》から取り出される品物にはほとんど限りがない。これだけの品数を一度に容《い》れ得る「鍋」を自分は持っているだろうか。鍋はあるとした上でも、これだけのものを沸騰させ煮つめるだけの「燃料」を自分は貯えてあるだろうか。
この点に考え及ぶと私は少し心細くなる。
厄年の関を過ぎた私は立止
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