事ばかりでなく、これらの原子電子から構成されているすべての世界における因果関係に対する考え方の立て直しを啓示するように見える。

 いかに現在の計測を精鋭にゆきわたらせることができたとしても、過去と未来には末広がりに朦朧《もうろう》たる不明の笹縁《ささべり》がつきまとってくる。そうして実はそういう場合にのみ通例考えられているような「因果」という言葉が始めて独立な存在理由を有するということには今までおそらくだれも気がつかなかったのではないか。
 こういう漠然《ばくぜん》たる空想をどこまでもとたどりたどって行った末に、彼は、確定と偶然との相争うヒットの遊戯が何ゆえに人間の心をこれほどまでに強く引きつけるかという理由をおぼろげながら感得することができるような気がした。同時に物質確定の世界と生命の不定世界との間にそびえていた万里の鉄壁の一部がいよいよ破れ始める日の幻を心に描くことさえできるような気がしたのである。

 その曲がった脊柱《せきちゅう》のごとくヘテロドックスなこの老学者がねずみの巣のような研究室の片すみに、安物の籐椅子《とういす》にもたれてうとうととこんな夢を見ているであろう間に、
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