らに次にきたるべき時代への希望と憧憬《どうけい》といったようなものが封建期の子供らの頭の中に勢いよく芽ばえ始めたのであった。
まいた種のうちでもクリケットやクロケーは風土に合わなくてじきにしおれて枯れてしまったが、ベースボールとボートレースはのびのびと生長した。後者は器具の関係から学校に限られていたが、前者は当然校外にまでも伝播《でんぱ》して行くべき性質のものであった。町はずれの草原や冬田の上で至るところにまね事の野球戦が流行した。ベースには蓆《むしろ》の切れ端やぞうきんで用が足りた。ボールがゴムまり、バットには手ごろの竹片がそこらの畑の垣根から容易に略奪された。しかし、それでは物足りない連中は、母親をせびった小銭で近所の大工に頼んでいいかげんの棍棒《こんぼう》を手にいれた。投網《とあみ》の錘《おもり》をたたきつぶした鉛球を糸くずでたんねんに巻き固めたものを心《しん》とし鞣皮《なめしがわ》――それがなければネルやモンパ――のひょうたん形の片を二枚縫い合わせて手製のボールを造ることが流行した。横文字のトレードマークのついた本物のボールなどは学校のほかにはどこにも見られなかった。しかし
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